田丸謙二先生
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田丸謙二先生と、浜北、森林公園内、夢の橋の上にて……(07年5月12日)


レストラン「まつぼっくり」にて。

林様:

  お元気ですか。 5月1x日(x)の12時半から浜松Mホテル(浜松
駅の近く)で亡妻の甥の結婚式がありますので出かけます。 多分3時半頃
には終わると思います。 暫くぶりにひと目お会いできればと思いますが如何
でしょうか。

  最近依頼された原稿を添付します。 貴方にとっては「マタカ」ということ 
ですが、読者が違うといえば言い訳になりますが、矢張り似たことを言うのは、頭が 
老化して来たということでしょうね。 しかし教育界がどれだけ近代化してきたので 
しょうか。 近く「新しい理科教育」の授業をある高校でやらされますが、そこの先 
生にとっては大変参考になるからと言って頼んできたのですが、「おせじ」でしょう 
か。 歳をとると「お世辞」に弱くなります。 月刊「化学」の編集者も
写真に感激した風でしたが。 私はむしろ今の若い人たちに「研究は頭でするもの」 
と言うことを強調したかったのですが。 近頃の若い連中は(教授がいけないのです 
が)研究で苦しんで考えることをしなくなってきた感じが強くします。 
イージイに 
なってきたのです。 最近も新聞にありましたが、「出世したい」と考える高校生 
が、他の国に比べて格段に少ないのと似ています。  若い連中が「シラケテ」しま 
っていると国の将来が気になります。 違いましょうか。
       
  お元気で。 
  田丸謙二



日本の将来は現在の教育が決める  

昨年本誌11月号に安部博之東北大学名誉教授の巻頭言では森嶋通夫ロンドン大学名誉教授の意見に関連し、日本の将来について深い危惧の念を述べておられた。次の12月号に会員からのメールにもあるが、森嶋教授の言として

「日本の教育には自分で考え、自分で判断する訓練が最も欠如している。自分で考え、横並びでない自己判断の出来る人間を育てなければ、2050年の日本は本当に駄目になる」。つまりこれからの加速度的に早く変化するコンピュータの時代をリードするには日本の教育を「詰め込み教育」から、「自立して探究的に考える「智慧」を持つ」よう基本的に改革しなければいけないのである。

アメリカで小学校二年まで教育を受けて日本に帰ってきた私の孫は、日本育ちと著しく違っていた。例えば、コップに水を入れその中に自分の腕時計を入れている。「何をしているのよ!」というと。「これ防水と書いてある」。実験なのである。「マミ、救急車がこちらに来る時は高い音なのに、向うに行くときは低くなるのは何故?」、「台風の目はどうなっているの?」、「雷の電圧は高い針金を使って測れないかしら」などなど、すべて自分で考えて質問をしていた。孫の担任の先生も「自分は長年教師をしているがこんな利口な子供は見たことがない」と言っていた。しかし、日本で「思考とは無関係な、お粗末な教科書」を詰め込まれて、暗記させられ、試験に備える教育を受ける間に見る見るうちに自分で考えなくなってしまった。日本では一般の生徒たちも生来「利口な頭」を持っていても、可哀相にその才能を引き出し(educeし)、育てる本当のeducationがない。日本の教育関係者で本当にそのことを認識している人は何人いるであろうか。

要するに森嶋通夫の指摘も、立花隆の指摘する「日本のエリートは試験に強いがクリエイティビティに乏しい」というのも、また世界の大きな波に乗った「ゆとり教育」が日本ではうまく行かないのも、さらに言えば欧州でもアメリカでもそれぞれ何百人もノーベル賞を受けているのに、日本では正に桁違いに少ないのも、原因は全て共通の基盤から来ている。日本には自分で疑問を持ち、デベイトし、個性的、独創的に考える風土がない。「ものしり創り」はあってもクリエイティブな教育がないのである。教師の責任は重かつ大である。
(日本化学会・「化学と工業」誌2007年5月号掲載予定)







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