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教育(3)



【やる気論】

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昨夜のサッカーの試合の後遺症か?
あるいは、睡眠不足か?

今朝は、どうも頭が重い。

体の動きが、にぶい。

気力も、あわせて、弱い。やる気が起きない?

(昨夜、日本は、対オーストラリア戦で、
1−3で敗れた。06−06−12)

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●義理の兄

 義理の兄夫妻が、遊びに来てくれた。夕食をいっしょに、食べた。義理の兄は、会社を経営している。あちこちに土地をもっていて、その上に、賃貸ビルや会社を建てている。「悠々自適」という言葉は、そういう人のためにある。

 驚いたのは、70歳に近いというのに、髪の毛が黒々としていること。おまけにフサフサしている。「染めているの?」と聞くと、「いいや」と。

 私の髪の毛も、フサフサしているが、20〜30%は、もう白髪(しらが)。ワイフなどは、90%近くが、白髪。

 いろいろ話しているうちに、ひとつ気がついたことがある。それは兄の生き方が、前向きなこと。年齢を感じさせない。今は、ハーブ栽培に凝(こ)っているとか。「縁側が、ハーブだらけだよ」と言って、うれしそうに笑っていた。

 あとゴルフのクラブを、特注で作らせているとか、など。設計図も自分でひき、材質まで指定して作るのだそうだ。「それが楽しい」と。

 そういうふうに、前向きに生きている人と話していると、楽しい。自分まで、どんどんと若返っていくのがわかる。

 ところで、(やる気)を引き出すのは、脳内で分泌される、カテコールアミンという物質だそうだ。

 つまり、何か好きなことを、前向きにしていると、脳内から、(カテコールアミン)という物質が分泌される。そしてそれが、回りまわって、やる気につながるという。

 兄の脳みその中には、その物質が充満しているらしい。

 以前書いた原稿を、2作、添付します。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●悲しき小学生vs前向きな小学生

私「君は、何をしたい?」
小「何も、ない」
私「何をしているときが、一番、楽しいの?」
小「友だちと、遊んでいるとき」

私「おとなになったら、何をしたいの?」
小「何もない……」
私「してみたい仕事はないの?」
小「あんまり、ない。考えてない」

私「だけど、何か、しなければいかんだろう?」
小「……わからん」
私「もうすぐ、おとなになるよ。目標をもたなくちゃあ……」
小「まだまだ、だよ」

私「じゃあ、なぜ、勉強しているの?」
小「一応、やらなくちゃ、いけないから……」
私「したい勉強は、ないの?」
小「ふん……」と。

 小学6年生のK君(男子)との会話である。

 K君に、問題があるというのではない。夢も、希望もない。もちろん目的もない。今、そういう小学生が、ふえている。全体の、半数以上が、そうではないか。

 が、親は、「勉強しろ」「いい学校へ入れ」と、子どもを追いたてる。つまり親自身が、子どもの進路を混乱させている。それに気づいていない。

 一方、今、小説を書くことに、熱中している小学生がいる。5年生のOさん(女子)である。毎週、何かの小説を書いてきて、私に読ませてくれる。

 そういう小学生は、生き生きしている。目も輝いている。

私「おとなになったら、何になるの?」
小「お医者さん」
私「じゃあ、うんと勉強しなくちゃいけないね」
小「でも、花が好きだから、花屋さんでもいい」

私「また小説、書いてきてよ。読みたいから……」
小「今度は、冒険の話でもいい?」
私「いいよ。ハリーポッターのようなのを、ね」
小「わかった……」と。

 このタイプの子どもは、つぎつぎと、自分のしたいことを、決めていく。多芸多才。ひとつの目標を決めると、自らコースを設定して、その中に自分を置く。あとは、自身の力で、前に進んで行く。

 ここに書いた、K君も、Oさんも、実は、架空の子どもである。今までに、私の前を通りすぎた何人かの子どもを、まとめて書いた。

 で、その分かれ道というか、どうして子どもはK君のような子どもになり、またOさんのような子どもになるのか。また、いつごろ、その分かれ道はできるのか。

 私は本当のところ、0〜1歳児については、よくわからない。しかしそのころ、すでにその分かれ道はできると思う。4歳や5歳ではない。2歳や3歳ではない。その前だ。

 となると、そのカギをにぎるのは、母親ということになる。母親が、子どもが進むべき道を決める。むずかしいことではない。

 子どもというのは、あるべき環境の中で、あるべき方法で育てれば、Oさんのようになる。しかしそうでないとき、子どもは、K君のようになる。

 あるべき環境というのは、心暖まる親の愛情に包まれ、安定し、信頼関係のしっかりした環境ということになる。そういう環境の中で、静かに、どこまでも静かに育てる。

 それを、生まれた直後から、ほら、英才教育だ、ほら、早期教育だ、ほら、バイリンガルだ……とやりだすから、話がおかしくなる。子どもは、親に振りまわされるだけ。振りわされながら、子どもは、自分が何をしたいのかさえ、わからなくなってしまう。

 子どもがK君のようになると、親は、あせる。そして無理をする。あとは、この悪循環。子どもはますます、やる気のない子どもになっていく。

 「友だちと遊んでいるときだけが、楽しい」と。

 そうなってしまってからは、もう手遅れ。子どもの心というのは、そうは、簡単にはできない。
(はやし浩司 やる気のない子ども 子供 子供のやる気 積極的な子供 消極的な子ども)

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子どもからやる気を引き出すには
どうしたらよいか?

そのカギをにぎるのが、扁桃体と
いう組織だそうだ!

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 人間には、「好き」「嫌い」の感情がある。この感情をコントロールしているのが、脳の中の辺縁系にある扁桃体(へんとうたい)という組織である。

 この扁桃体に、何かの情報が送りこまれてくると、動物は、(もちろん人間も)、それが自分にとって好ましいものか、どうかを、判断する。そして好ましいと判断すると、モルヒネ様の物質を分泌して、脳の中を甘い陶酔感で満たす。

たとえば他人にやさしくしたりすると、そのあと、なんとも言えないような心地よさに包まれる。それはそういった作用による(「脳のしくみ」新井康允)。が、それだけではないようだ。こんな実験がある(「したたかな脳」・澤口としゆき)。

 サルにヘビを見せると、サルは、パニック状態になる。が、そのサルから扁桃体を切除してしまうと、サルは、ヘビをこわがらなくなるというのだ。

 つまり好き・嫌いも、その人の意識をこえた、その奥で、脳が勝手に判断しているというわけである。

 そこで問題は、自分の意思で、好きなものを嫌いなものに変えたり、反対に、嫌いなものを好きなものに変えることができるかということ。これについては、澤口氏は、「脳が勝手に決めてしまうから、(できない)」というようなことを書いている。つまりは、一度、そうした感情ができてしまうと、簡単には変えられないということになる。

 そこで重要なのが、はじめの一歩。つまりは、第一印象が、重要ということになる。

 最初に、好ましい印象をもてば、以後、扁桃体は、それ以後、それに対して好ましい反応を示すようになる。そうでなければ、そうでない。たとえば幼児が、はじめて、音楽教室を訪れたとしよう。

 そのとき先生のやさしい笑顔が印象に残れば、その幼児は、音楽に対して、好印象をもつようになる。しかしキリキリとした神経質な顔が印象に残れば、音楽に対して、悪い印象をもつようになる。

 あとの判断は、扁桃体がする。よい印象が重なれば、良循環となってますます、その子どもは、音楽が好きになるかもしれない。反対に、悪い印象が重なれば、悪循環となって、ますますその子どもは、音楽を嫌いになるかもしれない。

 心理学の世界にも、「好子」「嫌子」という言葉がある。「強化の原理」「弱化の原理」という言葉もある。

 つまり、「好きだ」という前向きの思いが、ますます子どもをして、前向きに伸ばしていく。反対に、「いやだ」という思いが心のどこかにあると、ものごとから逃げ腰になってしまい、努力の割には、効果があがらないということになる。

 このことも、実は、大脳生理学の分野で、証明されている。

 何か好きなことを、前向きにしていると、脳内から、(カテコールアミン)という物質が分泌される。そしてそれがやる気を起こすという。澤口の本をもう少しくわしく読んでみよう。

 このカテコールアミンには、(1)ノルアドレナリンと、(2)ドーパミンの2種類があるという。

 ノルアドレナリンは、注意力や集中力を高める役割を担(にな)っている。ドーパミンにも、同じような作用があるという。

 「たとえば、サルが学習行動を、じょうずに、かつ一生懸命行っているとき、ノンアドレナリンを分泌するニューロンの活動が高まっていることが確認されています」(同P59)とのこと。

 わかりやすく言えば、好きなことを一生懸命しているときは、注意力や集中力が高まるということ。

 そこで……というわけでもないが、幼児に何かの(学習)をさせるときは、(どれだけ覚えたか)とか、(どれだけできるようになったか)とかいうことではなく、その幼児が、(どれだけ楽しんだかどうか)だけをみて、レッスンを進めていく。

 これはたいへん重要なことである。

 というのも、先に書いたように、一度、扁桃体が、その判断を決めてしまうと、その扁桃体が、いわば無意識の世界から、その子どもの(心)をコントロールするようになると考えてよい。「好きなものは、好き」「嫌いなものは、嫌い」と。

 実際、たとえば、小学1、2年生までに、子どもを勉強嫌いにしてしまうと、それ以後、その子どもが勉強を好きになるということは、まず、ない。本人の意思というよりは、その向こうにある隠された意思によって、勉強から逃げてしまうからである。

 たとえば私は、子どもに何かを教えるとき、「笑えば伸びる」を最大のモットーにしている。何かを覚えさせたり、できるようにさせるのが、目的ではない。楽しませる。笑わせる。そういう印象の中から、子どもたちは、自分の力で、前向きに伸びていく。その力が芽生えていくのを、静かに待つ。

 (このあたりが、なかなか理解してもらえなくて、私としては歯がゆい思いをすることがある。多くの親たちは、文字や数、英語を教え、それができるようにすることを、幼児教育と考えている。が、これは誤解というより、危険なまちがいと言ってよい。)

 しかしカテコールアミンとは何か?

 それは生き生きと、顔を輝かせて作業している幼児の顔を見ればわかる。顔を輝かせているその物質が、カテコールアミンである。私は、勝手に、そう解釈している。
(はやし浩司 子供のやる気 子どものやる気 カテコールアミン 扁桃体)

【補記】

 一度、勉強から逃げ腰になると、以後、その子どもが、勉強を好きになることはまずない。(……と言い切るのは、たいへん失礼かもしれないが、むずかしいのは事実。家庭教育のリズムそのものを変えなければならない。が、それがむずかしい。)

 それにはいくつか、理由がある。

 勉強のほうが、子どもを追いかけてくるからである。しかもつぎつぎと追いかけてくる。借金にたとえて言うなら、返済をすます前に、つぎの借金の返済が迫ってくるようなもの。

 あるいは家庭教育のリズムそのものに、問題があることが多い。少しでも子どもがやる気を見せたりすると、親が、「もっと……」「うちの子は、やはり、やればできる……」と、子どもを追いたてたりする。子どもの視点で、子どもの心を考えるという姿勢そのものがない。

 本来なら、一度子どもがそういう状態になったら、思い切って、学年をさげるのがよい。しかしこの日本では、そうはいかない。「学年をさげてみましょうか」と提案しただけで、たいていの親は、パニック状態になってしまう。

 かくして、その子どもが、再び、勉強が好きになることはまずない。
(はやし浩司 やる気のない子ども 勉強を好きにさせる 勉強嫌い)

【補記】

 子どもが、こうした症状(無気力、無関心、集中力の欠如)を見せたら、できるだけ早い時期に、それに気づき、対処するのがよい。

 私の経験では、症状にもよるが、小学3年以上だと、たいへんむずかしい。内心では「勉強はあきらめて、ほかの分野で力を伸ばしたほうがよい」と思うことがある。そのほうが、その子どもにとっても、幸福なことかもしれない。

 しかしそれ以前だったら、子どもを楽しませるという方法で、対処できる。あとは少しでも伸びる姿勢を見せたら、こまめに、かつ、すかさず、ほめる。ほめながら、伸ばす。

 大切なことは、この時期までに、子どものやる気や、伸びる芽を、つぶしてしまわないということ。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 やる気のある子供 やる気のない子供 子どものやる気 子供のやる気 やる気論)




子どもの人格(2)06−05−21記

【子どもの人格論】

●まず、はじめに……

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人には、(本当にすばらしい人)と、
(見かけ上、すばらしい人)がいる。

そうした(ちがい)は、どこから、
どう生まれるのか?

また、どうすれば、その(すばらしい
人)になれるのか?

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●Bという女性教師

 ありのままを書く。

 私が昔勤めていた幼稚園に、Bという女性教師がいた。当時年齢は50歳くらいではな
かったか。

 そのBという女性教師が、ある午後、職員室へ飛びこんできて、こう言った。はき捨て
るような言い方だった。

 「あの親ったら、あれほど息子のめんどうをみてやったのに、盆暮れのつけ届けひとつ
よこさないんだから、いやになっちゃう!」と。

 Bという女性教師は、そういう教師だった。言いたいことを、スケズケと言った。私も、
2度ほど、何かのことで意見を言うと、「生意気、言うんじゃないよ!」と、平手で、頬を
殴られたことがある。

 で、そういう教師の話をすると、おおかたの人は、「何という教師だ!」と、思うにちが
いない。「教師として、あるまじき人間」と。

 私もそう思っていた。ごく最近まで、そう思っていた。しかしBという教師は、いつも
本音で生きていた。知的レベルは、それほど高くなかったが、その教師の教育論には、一
種独特のものがあり、何かと参考になった。

●自我構造理論

 一方、その私はどうかというと、心の奥深くでは、同じように思うこともある。しかし
そう思ったとたん、「邪悪な思い」と片づけて、それをまた心のどこかにしまいこんでしま
う。

 こうした心の作用は、フロイトの、「イド&自我論」(=自我構造理論)を使うと、うま
く説明できる。

 私たちの心の奥底には、「イド」と呼ばれる、欲望のかたまりがある。人間の生きるエネ
ルギーの原点にはなっているが、そこはドロドロとした欲望のかたまり。論理もなければ、
理性もない。衝動的に快楽を求め、そのつど、人間の心をウラから操る。

 そのイドを、コントロールするのが、「自我」ということになる。つまり「私は私」とい
う理性である。その自我が、混沌(こんとん)として、まとまりのない、イドの働きを抑
制する。

 そこでこの自我構造理論を、Bという女性教師に当てはめて考えてみると、こうなる。

 イドの世界では、その女性教師は、いつも何かの見かえりをもとめて、その母親の子ど
もと接していたことになる。多くの人は、「教師」というと、聖職を意識し、「聖職である
なら、そういうことは考えないはず」と思うかもしれない。

 しかし教師といっても、ふつうの人間。ばあいによっては、ただの人間。あなたやあな
たの夫(妻)と、どこもちがわない。またそうであるからといって、まちがっているとい
うことにもならない。

 Bという女性教師は、それを自然な形で(?)、ありのままの自分を表現したにすぎない。

 「あの親ったら、あれほど息子のめんどうをみてやったのに、盆暮れのつけ届けひとつ
よこさないんだから、いやになっちゃう!」と。

●イドと自我の戦い
 
しかしあえて言うなら、それはイドに操られた言葉ということになる。もう少し自我の
働きが強ければ、仮にそう思ったとしても、言葉として発することまではしなかったと
思われる。

 同じようなことは、EQ論(emotional quotient、心の知能指数)
でも、説明できる。

 EQ論によれば、人格の完成度は、(1)自己管理能力の有無、(2)脱自己中心性の程
度、(3)他人との良好な人間関係の有無の、3つをみて、判断する。(心理学者のゴール
マンは、(1)自分の情動を知る、(2)感情のコントロール、(3)自己の動機づけ、(4)
他人への思いやり、(5)人間関係の5つをあげた。)

 つまり自己管理能力が弱いということは、それだけ人格の完成度が低いということにな
る。

 (言うべきか)(言うべきでないか)ということになると、Bという女性教師は、そうい
うことを、職員室という場では、言うべきではなかった。たとえそう思ったとしても、だ。
つまりその分だけ、Bという女性教師は、人格の完成度が、低かったということになる。

 が、その一方で、こういう問題も、ある。

●教師という仮面

 教師という職業は、仮面(ペルソナ)をかぶらないと、できない職業といってもよい。
おおかたの人は、教師というと、それなりに人格の完成度の高い人間であるという前提で、
ものを考える。接する。

 そのため教師自身も、「私は教師である」という仮面をかぶる。かぶって、親たちと接す
る。しかしそれは同時に、教師という人間がもつ人間性を、バラバラにしてしまう可能性
がある。こんなことまでフロイトが考えたかどうかは、私は知らないが、自我とイドを、
まったく分離してしまうということは、危険なことでもある。

 ばあいによっては、私が私でなくなってしまう。

 そこまで深刻ではないにしても、仮面をかぶるということ自体、疲れる。よい人間を演
じていると、それだけでも心は緊張状態に置かれる。人間の心は、そうした緊張状態には、
弱い。長く、つづけることはできない。

 そこでふと我にかえって、自分に気づく。そしてはき捨てる。

 「あの親ったら、あれほど息子のめんどうをみてやったのに、盆暮れのつけ届けひとつ
よこさないんだから、いやになっちゃう!」と。

●自己管理能力

もしそのとき、Bという女性教師が、自我の力で、イドを抑えこんでしまっていたとし
たら……。外見上は、すばらしい教師のままでいられたかもしれない。私たちに対する
印象も、それほど悪くしないで、すんだかもしれない。

 で、この(ちがい)こそが、つまりは、(真の人間性)ということになる。

 人には、(本当にすばらしい人)と、(見かけ上、すばらしい人)がいる。その(ちがい)
はどこにあるかと言えば、イドに対する自我の管理能力にあるということになる。もっと
言えば、自我のもつ管理能力がすぐれている人を、(本当にすばらしい人)という。そうで
ない人を、(見かけ上、すばらしい人)という。

 さて話は、ぐんと現実的になるが、私がここに書いたことを、もっと理解してもらうた
めに、こんな話を書きたい。

●思春期に肥大化するイド

 昨夜も、自転車で変える途中、こんなことがあった。

 私が小さな四つ角で信号待ちをしていると、2人乗りの自転車が、私を追い抜いていっ
た。黒い学生服を着ていた。高校生たちである。しかも無灯火。

 その2人乗りの自転車は、一瞬、信号の前でためらった様子は見せたものの、左右に車
がいないとわかると、そのまま信号を無視して、道路を渡っていった。

 最初、私は、「ああいう子どもにも、幼児期はあったはず」と思った。皮肉なことに、幼
児ほど、ルールを守る。一度、教えると、それを忠実に守る。しかし思春期に達すると、
子どもは、とたんにだらしなくなる。行動が衝動的になり、快楽を追い求めるようになる。

 なぜか?

 それもフロイトの自我構造理論を当てはめて考えてみると、理解できる。

 思春期になると、イドが肥大化し、働きが活発になる。先にも書いたように、そこはド
ロドロとした欲望のかたまり。そのため自我の働きが、相対的に弱くなる。結果、自我の
もつ管理能力が低下する。

 言うなれば、自転車に2人乗りをして、信号を無視して道路を渡った子どもは、(本当に
すばらしい人)の、反対側にいる人間ということになる。人間というよりは、サルに近い
(?)。

●では……

 ではどうすれば、私たちは、(本当にすばらしい人間)になれるか。

 最初に、自分の心の奥深くに居座るイドというものが、どういうものであるかを知らな
ければならない。これはあくまでも私の感覚だが、それはモヤモヤとしていて、つかみど
ころがない。ドロドロしている。欲望のかたまり。が、イドを否定してはいけない。イド
は、私の生きる原動力となっている。「ああしたい」「こうしたい」という思いも、そこか
ら生まれる。

 そのイドが、ときとして、四方八方へ、自ら飛び散ろうとする。「お金がほしい」「女を
抱きたい」「名誉がほしい」「地位がほしい」……、と。

 イドはたとえて言うなら、車のエンジンのようなもの。あるいはガソリンとエンジンの
ようなもの。

 そのエンジンにシャフトをつけて、車輪に動力を伝える。制御装置をつけて、ハンドル
をとりつける。車体を載せて、ボデーを取りつける。この部分、つまりエンジンをコント
ロールする部分が、自我ということになる。あまりよいたとえではないかもしれないが、
しかしそう考えると、(私)というもが、何となくわかってくる。つまり(私)というのは、
そうしてできあがった、(車)のようなもの、ということになる。

 つまり、その車が、しっかりと作られ、整備されている人が、(本当にすばらしい人)と
いうことになるし、そうでない人を、そうでない人という。そうでない人の車は、ボロボ
ロで、故障ばかり繰りかえす……。

 冒頭の話にもどす。

 Bという女性教師だが、今は、他界して久しい。が、私には、強烈な印象を残して、こ
の世を去っていった。

 その教師を思い出しながら、今でも、ときどき、ふとこう思う。

 「あの先生のように、本音をむきだしにして生きることができたら、私ももっと気楽に
生きることができるのになあ」と。

 ……どうやら私はまだ、どこかで仮面をかぶったまま生きているらしい。心のどこかで
はその教師を否定しながら、その一方で、あこがれに似た気持ちをいだく。

今の私には、(本当にすばらしい人)になるのは、とても無理だと思う。ホント!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
自我構造理論 イド EQ EQ論 心の知能指数)


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以前書いた原稿を
再掲載します。

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【子どもの人格論】

●社会適応性

 子どもの社会適応性は、つぎの5つをみて、判断する(サロベイほか)。

(1)共感性
(2)自己認知力
(3)自己統制力
(4)粘り強さ
(5)楽観性
(6)柔軟性

 これら6つの要素が、ほどよくそなわっていれば、その子どもは、人間的に、完成度の
高い子どもとみる(「EQ論」)。

 順に考えてみよう。

(1)共感性

 人格の完成度は、内面化、つまり精神の完成度をもってもる。その一つのバロメーター
が、「共感性」ということになる。

 つまりは、どの程度、相手の立場で、相手の心の状態になって、その相手の苦しみ、悲
しみ、悩みを、共感できるかどうかということ。

 その反対側に位置するのが、自己中心性である。

 乳幼児期は、子どもは、総じて自己中心的なものの考え方をする。しかし成長とともに、
その自己中心性から脱却する。「利己から利他への転換」と私は呼んでいる。

 が、中には、その自己中心性から、脱却できないまま、おとなになる子どももいる。さ
らにこの自己中心性が、おとなになるにつれて、周囲の社会観と融合して、悪玉親意識、
権威主義、世間体意識へと、変質することもある。

(2)自己認知力

 ここでいう「自己認知能力」は、「私はどんな人間なのか」「何をすべき人間なのか」「私
は何をしたいのか」ということを、客観的に認知する能力をいう。

 この自己認知能力が、弱い子どもは、おとなから見ると、いわゆる「何を考えているか
わからない子ども」といった、印象を与えるようになる。どこかぐずぐずしていて、はっ
きりしない。優柔不断。

反対に、独善、独断、排他性、偏見などを、もつこともある。自分のしていること、言
っていることを客観的に認知することができないため、子どもは、猪突猛進型の生き方
を示すことが多い。わがままで、横柄になることも、珍しくない。

(3)自己統制力

 すべきことと、してはいけないことを、冷静に判断し、その判断に従って行動する。子
どものばあい、自己のコントロール力をみれば、それがわかる。

 たとえば自己統制力のある子どもは、お年玉を手にしても、それを貯金したり、さらに
ためて、もっと高価なものを買い求めようとしたりする。

 が、この自己統制力のない子どもは、手にしたお金を、その場で、その場の楽しみだけ
のために使ってしまったりする。あるいは親が、「食べてはだめ」と言っているにもかかわ
らず、お菓子をみな、食べてしまうなど。

 感情のコントロールも、この自己統制力に含まれる。平気で相手をキズつける言葉を口
にしたり、感情のおもむくまま、好き勝手なことをするなど。もしそうであれば、自己統
制力の弱い子どもとみる。

 ふつう自己統制力は、(1)行動面の統制力、(2)精神面の統制力、(3)感情面の統制
力に分けて考える。

(4)粘り強さ

 短気というのは、それ自体が、人格的な欠陥と考えてよい。このことは、子どもの世界
を見ていると、よくわかる。見た目の能力に、まどわされてはいけない。

 能力的に優秀な子どもでも、短気な子どもはいくらでもいる一方、能力的にかなり問題
のある子どもでも、短気な子どもは多い。

 集中力がつづかないというよりは、精神的な緊張感が持続できない。そのため、短気に
なる。中には、単純作業を反復的にさせたりすると、突然、狂乱状態になって、泣き叫ぶ
子どももいる。A障害という障害をもった子どもに、ときどき見られる症状である。

 この粘り強さこそが、その子どもの、忍耐力ということになる。

(5)楽観性

 まちがいをすなおに認める。失敗をすなおに認める。あとはそれをすぐ忘れて、前向き
に、ものを考えていく。

 それができる子どもには、何でもないことだが、心にゆがみのある子どもは、おかしな
ところで、それにこだわったり、ひがんだり、いじけたりする。クヨクヨと気にしたり、
悩んだりすることもある。

 簡単な例としては、何かのことでまちがえたようなときを、それを見れば、わかる。

 ハハハと笑ってすます子どもと、深刻に思い悩んでしまう子どもがいる。その場の雰囲
気にもよるが、ふと見せる(こだわり)を観察して、それを判断する。

 たとえば私のワイフなどは、ほとんど、ものごとには、こだわらない性質である。楽観
的と言えば、楽観的。超・楽観的。

 先日も、「お前、がんになったら、どうする?」と聞くと、「なおせばいいじゃなア〜い」
と。そこで「がんは、こわい病気だよ」と言うと、「今じゃ、めったに死なないわよ」と。
さらに、「なおらなかったら?」と聞くと、「そのときは、そのときよ。ジタバタしても、
しかたないでしょう」と。

 冗談を言っているのかと思うときもあるが、ワイフは、本気。つまり、そういうふうに、考える人もいる。

(6)柔軟性

 子どもの世界でも、(がんこ)な面を見せたら、警戒する。

 この(がんこ)は、(意地)、さらに(わがまま)とは、区別して考える。(がんこ)を考
える前に、それについて、書いたのが、つぎの原稿である。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
子どもの人格 子供の人格論)


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●子どもの意地

 こんな子ども(年長男児)がいた。風邪をひいて熱を出しているにもかかわらず、「幼稚
園へ行く」と。休まずに行くと、賞がもらえるからだ。

そこで母親はその子どもをつれて幼稚園へ行った。顔だけ出して帰るつもりだった。し
かし幼稚園へ行くと、その子どもは今度は「帰るのはいやだ」と言い出した。子どもな
がらに、それはずるいことだと思ったのだろう。結局その母親は、昼の給食の時間まで、
幼稚園にいることになった。またこんな子ども(年長男児)もいた。

 レストランで、その子どもが「もう一枚ピザを食べる」と言い出した。そこでお母さん
が、「お兄ちゃんと半分ずつならいい」と言ったのだが、「どうしてももう一枚食べる」と。
そこで母親はもう一枚ピザを頼んだのだが、その子どもはヒーヒー言いながら、そのピザ
を食べたという。

「おとなでも二枚はきついのに……」と、その母親は笑っていた。
 
今、こういう意地っ張りな子どもが少なくなった。丸くなったというか、やさしくなっ
た。心理学の世界では、意地のことを「自我」という。英語では、EGOとか、SEL
Fとかいう。少し昔の日本人は、「根性」といった。(今でも「根性」という言葉を使う
が、どこか暴力的で、私は好きではないが……。)

教える側からすると、このタイプの子どもは、人間としての輪郭がたいへんハッキリと
している。ワーワーと自己主張するが、ウラがなく、扱いやすい。正義感も強い。

 ただし意地とがんこ。さらに意地とわがままは区別する。カラに閉じこもり、融通がき
かなくなることをがんこという。毎朝、同じズボンでないと幼稚園へ行かないというのは、
がんこ。また「あれを買って!」「買って!」と泣き叫ぶのは、わがままということになる。

がんこについては、別のところで考えるが、わがままは一般的には、無視するという方
法で対処する。「わがままを言っても、だれも相手にしない」という雰囲気(ふんいき)
を大切にする。

++++++++++++++++++

 心に何か、問題が起きると、子どもは、(がんこ)になる。ある特定の、ささいなことに
こだわり、そこから一歩も、抜け出られなくなる。

 よく知られた例に、かん黙児や自閉症児がいる。アスペルガー障害児の子どもも、異常
なこだわりを見せることもある。こうしたこだわりにもとづく行動を、「固執行動」という。

 ある特定の席でないとすわらない。特定のスカートでないと、外出しない。お迎えの先
生に、一言も口をきかない。学校へ行くのがいやだと、玄関先で、かたまってしまう、な
ど。

 こうした(がんこさ)が、なぜ起きるかという問題はさておき、子どもが、こうした(が
んこさ)を示したら、まず家庭環境を猛省する。ほとんどのばあい、親は、それを「わが
まま」と決めてかかって、最初の段階で、無理をする。この無理が、子どもの心をゆがめ
る。症状をこじらせる。

 一方、人格の完成度の高い子どもほど、柔軟なものの考え方ができる。その場に応じて、
臨機応変に、ものごとに対処する。趣味や特技も豊富で、友人も多い。そのため、より柔
軟な子どもは、それだけ社会適応性がすぐれているということになる。

 一つの目安としては、友人関係を見ると言う方法がある。(だから「社会適応性」という
が……。)

 友人の数が多く、いろいろなタイプの友人と、広く交際できると言うのであれば、ここ
でいう人格の完成度が高い、つまり、社会適応性のすぐれた子どもということになる。

【子ども診断テスト】

(  )友だちのための仕事や労役を、好んで引き受ける(共感性)。
(  )してはいけないこと、すべきことを、いつもよくわきまえている(自己認知力)。
(  )小遣いを貯金する。ほしいものに対して、がまん強い(自己統制力)。
(  )がんばって、ものごとを仕上げることがよくある(粘り強さ)。
(  )まちがえても、あまり気にしない。平気といった感じ(楽観性)。
(  )友人が多い。誕生日パーティによく招待される(社会適応性)。
(  )趣味が豊富で、何でもござれという感じ(柔軟性)。

 ここにあげた項目について、「ほぼ、そうだ」というのであれば、社会適応性のすぐれた
子どもとみる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
社会適応性 サロベイ サロヴェイ EQ EQ論 人格の完成度)


++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司※

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【子どもの心の発達・診断テスト】

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【社会適応性・EQ検査】(P・サロヴェイ)

●社会適応性

 子どもの社会適応性は、つぎの5つをみて、判断する(サロベイほか)。

(1)共感性
Q:友だちに、何か、手伝いを頼まれました。そのとき、あなたの子どもは……。

(1)いつも喜んでするようだ。
(2)ときとばあいによるようだ。
(3)いやがってしないことが多い。


(2)自己認知力
Q:親どうしが会話を始めました。大切な話をしています。そのとき、あなたの子どもは
……

(1)雰囲気を察して、静かに待っている。(4点)
(2)しばらくすると、いつものように騒ぎだす。(2点)
(3)聞き分けガなく、「帰ろう」とか言って、親を困らせる。(0点)


(3)自己統制力
Q;冷蔵庫にあなたの子どものほしがりそうな食べ物があります。そのとき、あなたの子
どもは……。

○親が「いい」と言うまで、食べない。安心していることができる。(4点)
○ときどき、親の目を盗んで、食べてしまうことがある。(2点)
○まったくアテにならない。親がいないと、好き勝手なことをする。(0点)


(4)粘り強さ
Q:子どもが自ら進んで、何かを作り始めました。そのとき、あなたの子どもは……。

○最後まで、何だかんだと言いながらも、仕あげる。(4点)
○だいたいは、仕あげるが、途中で投げだすこともある。(2点)
○たいていいつも、途中で投げだす。あきっぽいところがある。(0点)

(5)楽観性
Q:あなたの子どもが、何かのことで、大きな失敗をしました。そのとき、あなたの子ど
もは……。

○割と早く、ケロッとして、忘れてしまうようだ。クヨクヨしない。(4点)
○ときどき思い悩むことはあるようだが、つぎの行動に移ることができる。(2点)
○いつまでもそれを苦にして、前に進めないときが多い。(0点)
 

(6)柔軟性
Q:あなたの子どもの日常生活を見たとき、あなたの子どもは……

○友だちも多く、多芸多才。いつも変わったことを楽しんでいる。(4点)
○友だちは少ないほう。趣味も、限られている。(2点)
○何かにこだわることがある。がんこ。融通がきかない。(0点)

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(  )友だちのための仕事や労役を、好んで引き受ける(共感性)。
(  )自分の立場を、いつもよくわきまえている(自己認知力)。
(  )小遣いを貯金する。ほしいものに対して、がまん強い(自己統制力)。
(  )がんばって、ものごとを仕上げることがよくある(粘り強さ)。
(  )まちがえても、あまり気にしない。平気といった感じ(楽観性)。
(  )友人が多い。誕生日パーティによく招待される(社会適応性)。
(  )趣味が豊富で、何でもござれという感じ(柔軟性)。


 これら6つの要素が、ほどよくそなわっていれば、その子どもは、人間的に、完成度の
高い子どもとみる(「EQ論」)。

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順に考えてみよう。

(1)共感性

 人格の完成度は、内面化、つまり精神の完成度をもってもる。その一つのバロメーター
が、「共感性」ということになる。

 つまりは、どの程度、相手の立場で、相手の心の状態になって、その相手の苦しみ、悲
しみ、悩みを、共感できるかどうかということ。

 その反対側に位置するのが、自己中心性である。

 乳幼児期は、子どもは、総じて自己中心的なものの考え方をする。しかし成長とともに、
その自己中心性から脱却する。「利己から利他への転換」と私は呼んでいる。

 が、中には、その自己中心性から、脱却できないまま、おとなになる子どももいる。さ
らにこの自己中心性が、おとなになるにつれて、周囲の社会観と融合して、悪玉親意識、
権威主義、世間体意識へと、変質することもある。

(2)自己認知力

 ここでいう「自己認知能力」は、「私はどんな人間なのか」「何をすべき人間なのか」「私
は何をしたいのか」ということを、客観的に認知する能力をいう。

 この自己認知能力が、弱い子どもは、おとなから見ると、いわゆる「何を考えているか
わからない子ども」といった、印象を与えるようになる。どこかぐずぐずしていて、はっ
きりしない。優柔不断。

反対に、独善、独断、排他性、偏見などを、もつこともある。自分のしていること、言
っていることを客観的に認知することができないため、子どもは、猪突猛進型の生き方
を示すことが多い。わがままで、横柄になることも、珍しくない。

(3)自己統制力

 すべきことと、してはいけないことを、冷静に判断し、その判断に従って行動する。子
どものばあい、自己のコントロール力をみれば、それがわかる。

 たとえば自己統制力のある子どもは、お年玉を手にしても、それを貯金したり、さらに
ためて、もっと高価なものを買い求めようとしたりする。

 が、この自己統制力のない子どもは、手にしたお金を、その場で、その場の楽しみだけ
のために使ってしまったりする。あるいは親が、「食べてはだめ」と言っているにもかかわ
らず、お菓子をみな、食べてしまうなど。

 感情のコントロールも、この自己統制力に含まれる。平気で相手をキズつける言葉を口
にしたり、感情のおもむくまま、好き勝手なことをするなど。もしそうであれば、自己統
制力の弱い子どもとみる。

 ふつう自己統制力は、(1)行動面の統制力、(2)精神面の統制力、(3)感情面の統制
力に分けて考える。

(4)粘り強さ

 短気というのは、それ自体が、人格的な欠陥と考えてよい。このことは、子どもの世界
を見ていると、よくわかる。見た目の能力に、まどわされてはいけない。

 能力的に優秀な子どもでも、短気な子どもはいくらでもいる一方、能力的にかなり問題
のある子どもでも、短気な子どもは多い。

 集中力がつづかないというよりは、精神的な緊張感が持続できない。そのため、短気に
なる。中には、単純作業を反復的にさせたりすると、突然、狂乱状態になって、泣き叫ぶ
子どももいる。A障害という障害をもった子どもに、ときどき見られる症状である。

 この粘り強さこそが、その子どもの、忍耐力ということになる。

(1)楽観性

 まちがいをすなおに認める。失敗をすなおに認める。あとはそれをすぐ忘れて、前向き
に、ものを考えていく。

 それができる子どもには、何でもないことだが、心にゆがみのある子どもは、おかしな
ところで、それにこだわったり、ひがんだり、いじけたりする。クヨクヨと気にしたり、
悩んだりすることもある。

 簡単な例としては、何かのことでまちがえたようなときを、それを見れば、わかる。

 ハハハと笑ってすます子どもと、深刻に思い悩んでしまう子どもがいる。その場の雰囲
気にもよるが、ふと見せる(こだわり)を観察して、それを判断する。

 たとえば私のワイフなどは、ほとんど、ものごとには、こだわらない性質である。楽観
的と言えば、楽観的。超・楽観的。

 先日も、「お前、がんになったら、どうする?」と聞くと、「なおせばいいじゃなア〜い」
と。そこで「がんは、こわい病気だよ」と言うと、「今じゃ、めったに死なないわよ」と。
さらに、「なおらなかったら?」と聞くと、「そのときは、そのときよ。ジタバタしても、
しかたないでしょう」と。

 冗談を言っているのかと思うときもあるが、ワイフは、本気。つまり、そういうふうに、
考える人もいる。

(2)柔軟性

 子どもの世界でも、(がんこ)な面を見せたら、警戒する。

 この(がんこ)は、(意地)、さらに(わがまま)とは、区別して考える。

 一般論として、(がんこ)は、子どもの心の発達には、好ましいことではない。かたくな
になる、かたまる、がんこになる。こうした行動を、固執行動という。広く、情緒に何ら
かの問題がある子どもは、何らかの固執行動を見せることが多い。

 朝、幼稚園の先生が、自宅まで迎えにくるのだが、3年間、ただの一度もあいさつをし
なかった子どもがいた。

 いつも青いズボンでないと、幼稚園へ行かなかった子どもがいた。その子どもは、幼稚
園でも、決まった席でないと、絶対にすわろうとしなかった。

 何かの問題を解いて、先生が、「やりなおしてみよう」と声をかけただけで、かたまって
しまう子どもがいた。

 先生が、「今日はいい天気だね」と声をかけたとき、「雲があるから、いい天気ではない」
と、最後までがんばった子どもがいた。

 症状は千差万別だが、子どもの柔軟性は、柔軟でない子どもと比較して知ることができ
る。柔軟な子どもは、ごく自然な形で、集団の中で、行動できる。

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 EQ(Emotional Intelligence Quotient)は、アメリカのイエール大学心理学部教授。ピ
ーター・サロヴェイ博士と、ニューハンプシャー大学心理学部教授ジョン・メイヤー博士
によって理論化された概念で、日本では「情動の知能指数」「心の知能指数」と訳されてい
る(Emotional Education、by JESDA Websiteより
転写。)

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【EQ】

 ピーター・サロヴェイ(アメリカ・イエール大学心理学部教授)の説く、「EQ(Emo
tional Intelligence Quotient)」、つまり、「情動の知能指
数」では、主に、つぎの3点を重視する。

(1)自己管理能力
(2)良好な対人関係
(3)他者との良好な共感性

 ここではP・サロヴェイのEQ論を、少し発展させて考えてみたい。

 自己管理能力には、行動面の管理能力、精神面の管理能力、そして感情面の管理能力が
含まれる。

○行動面の管理能力

 行動も、精神によって左右されるというのであれば、行動面の管理能力は、精神面の管
理能力ということになる。が、精神面だけの管理能力だけでは、行動面の管理能力は、果
たせない。

 たとえば、「銀行強盗でもして、大金を手に入れてみたい」と思うことと、実際、それを
行動に移すことの間には、大きな距離がある。実際、仲間と組んで、強盗をする段階にな
っても、その時点で、これまた迷うかもしれない。

 精神的な決断イコール、行動というわけではない。たとえば行動面の管理能力が崩壊し
た例としては、自傷行為がある。突然、高いところから、発作的に飛びおりるなど。その
人の生死にかかわる問題でありながら、そのコントロールができなくなってしまう。広く、
自殺行為も、それに含まれるかもしれない。

 もう少し日常的な例として、寒い夜、ジョッギングに出かけるという場面を考えてみよ
う。

そういうときというのは、「寒いからいやだ」という抵抗感と、「健康のためにはしたほ
うがよい」という、二つの思いが、心の中で、真正面から対立する。ジョッギングに行
くにしても、「いやだ」という思いと戦わねばならない。

 さらに反対に、悪の道から、自分を遠ざけるというのも、これに含まれる。タバコをす
すめられて、そのままタバコを吸い始める子どもと、そうでない子どもがいる。悪の道に
染まりやすい子どもは、それだけ行動の管理能力の弱い子どもとみる。

 こうして考えてみると、私たちの行動は、いつも(すべきこと・してはいけないこと)
という、行動面の管理能力によって、管理されているのがわかる。それがしっかりとでき
るかどうかで、その人の人格の完成度を知ることができる。

 この点について、フロイトも着目し、行動面の管理能力の高い人を、「超自我の人」、「自
我の人」、そうでない人を、「エスの人」と呼んでいる。

○精神面の管理能力

 私には、いくつかの恐怖症がある。閉所恐怖症、高所恐怖症にはじまって、スピード恐
怖症、飛行機恐怖症など。

 精神的な欠陥もある。

 私のばあい、いくつか問題が重なって起きたりすると、その大小、軽重が、正確に判断
できなくなってしまう。それは書庫で、同時に、いくつかのものをさがすときの心理状態
に似ている。(私は、子どものころから、さがじものが苦手。かんしゃく発作のある子ども
だったかもしれない。)

 具体的には、パニック状態になってしまう。

 こうした精神作用が、いつも私を取り巻いていて、そのつど、私の精神状態に影響を与
える。

 そこで大切なことは、いつもそういう自分の精神状態を客観的に把握して、自分自身を
コントロールしていくということ。

 たとえば乱暴な運転をするタクシーに乗ったとする。私は、スピード恐怖症だから、そ
ういうとき、座席に深く頭を沈め、深呼吸を繰りかえす。スピードがこわいというより、
そんなわけで、そういうタクシーに乗ると、神経をすり減らす。ときには、タクシーをお
りたとたん、ヘナヘナと地面にすわりこんでしまうこともある。

 そういうとき、私は、精神のコントロールのむずかしさを、あらためて、思い知らされ
る。「わかっているけど、どうにもならない」という状態か。つまりこの点については、私
の人格の完成度は、低いということになる。

○感情面の管理能力

 「つい、カーッとなってしまって……」と言う人は、それだけ感情面の管理能力の低い
人ということになる。

 この感情面の管理能力で問題になるのは、その管理能力というよりは、その能力がない
ことにより、良好な人間関係が結べなくなってしまうということ。私の知りあいの中にも、
ふだんは、快活で明るいのだが、ちょっとしたことで、激怒して、怒鳴り散らす人がいる。

 つきあう側としては、そういう人は、不安でならない。だから結果として、遠ざかる。
その人はいつも、私に電話をかけてきて、「遊びにこい」と言う。しかし、私としては、ど
うしても足が遠のいてしまう。

 しかし人間は、まさに感情の動物。そのつど、喜怒哀楽の情を表現しながら、無数のド
ラマをつくっていく。感情を否定してはいけない。問題は、その感情を、どう管理するか
である。

 私のばあい、私のワイフと比較しても、そのつど、感情に流されやすい人間である。(ワ
イフは、感情的には、きわめて完成度の高い女性である。結婚してから30年近くになる
が、感情的に混乱状態になって、ワーワーと泣きわめく姿を見たことがない。大声を出し
て、相手を罵倒したのを、見たことがない。)

 一方、私は、いつも、大声を出して、何やら騒いでいる。「つい、カーッとなってしまっ
て……」ということが、よくある。つまり感情の管理能力が、低い。

 が、こうした欠陥は、簡単には、なおらない。自分でもなおそうと思ったことはあるが、
結局は、だめだった。

 で、つぎに私がしたことは、そういう欠陥が私にはあると認めたこと。認めた上で、そ
のつど、自分の感情と戦うようにしたこと。そういう点では、ものをこうして書くという
のは。とてもよいことだと思う。書きながら、自分を冷静に見つめることができる。

 また感情的になったときは、その場では、判断するのを、ひかえる。たいていは黙って、
その場をやり過ごす。「今のぼくは、本当のぼくではないぞ」と、である。

(2)の「良好な対人関係」と、(3)の「他者との良好な共感性」については、また別
の機会に考えてみたい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
管理能力 人格の完成度 サロヴェイ 行動の管理能力 EQ EQ論 人格の完成)





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