板取・民宿ひおき
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板取川清流の旅

06年4月8日
ワイフと2人で、
岐阜県関市・板取にある
板取川温泉に行ってきました。

民宿「山の宿 ひおき」で1泊。
その旅行記をお届けします。


【板取川】




君は、板取川の清流を見たことがあるか?


●板取川温泉

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25年ぶりに、昔、買った山林を、
確かめるために、岐阜県の板取村
というところへやってきた。

合併前は、武儀郡板取村といったが、
今は、関市板取という。

「関市ねえ〜?」というのが、
率直な感想。どうしてこんな
静かな山村を、関市というのか?

その関市というのは、刃物の産地と
して、よく知られた町である。

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●黄沙

 午後12時50分、新岐阜駅を出る、板取村行きのバスに乗る。乗ったとたん、春がすみを思わせる、白いモヤ。一面にモヤ。驚く。空全体が、真っ白。「まさか?」と思ったが、そのまさか、だった。黄沙(こうさ)である。中国大陸から風で飛ばされてきた、黄沙である。

 そう言えば、数日前のニュースによれば、中国の北部地方は、今年は大干ばつだそうだ。黄河流域の砂漠化も進んでいるという。そのせいだろう。私も、これほどまでにすごい黄沙を見たことがない。

 小雨がパラついていたが、それが乾くと同時に、砂の跡が、くっきりと現れた。窓ガラスにはもちろん、カバンにまで!

●洞戸

 バスは、一度、洞戸という小さな村を経由する。「ほらど」と読む。「洞への入り口」という意味だが、その名のとおり、このあたりには、いろいろな伝説が残っている。

 私が子どものころ聞いた話によれば、このあたりには、昔、頭がシシ(ライオン)、体がトラ、そして尻尾がヘビという怪獣が住んでいたそうだ。名前も、そのままズバリ、「シシトラヘビ」と言った。

 その怪獣を昔、藤原の何とかという武士が、退治しにやってきたという。私は、「藤原の鎌足(かまたに)」と聞いたが、確かではない。

 その武士が、今でも「大矢田(おやだ)」と言われているところで、大きな矢を作って、そしてこの洞戸から、山に入ったという。それで、その矢を作ったところと、大矢田。その入り口を、洞戸というようになった。……と、私は聞いている。

 つまり私は、このあたりの地名に詳しい。

●板取川温泉

 板取川温泉へは、午後3時ごろ着いた。つぎのバス停が、「杉原」という終点だそうだ。だからその1つ手前の停留所ということになる。

 観光地として、きれいに整備されているので、老若男女を問わず、家族連れでも、じゅうぶん楽しめる。その下には、いわずと知れた、天下の名流、板取川が流れている。四国の四万十川にまさるとも、決して劣らない。清流中の清流である。

 いつ来ても、板取川の水は、美しい。澄んだクリスタル色をしている。

 私たちは、その板取川温泉の川向こうにある、「ひおき」という民宿に泊まった。地元に住むいとこが、1押しで、推薦してくれた。

 その推薦にまちがいはなかった。新しい建物で、部屋に入ると、ヒノキのにおいが、プンと鼻をついた。部屋も広い。4月8日の土曜日だったが、まだシーズンではないらしい。宿泊客は、どうやら私とワイフの2人だけのようだ。宿屋の主人には申しわけなく思ったが、かえってのんびりできそうで、うれしかった。

●板取

 このあたりには、思い出が多い。知人や親類も多い。子どものころは、このあたりまで、よく遊びに来た。そうそう「ひおき」の下には、昔来たことのあるキャンプ場が、そのまま残っていた。

 川遊びに関しては、私は、プロだと思う。夏になると、この板取川へやってきて、一日中、泳いだり、魚をとったりして、遊んでいた。

 橋を渡るとき、川底をながめながら、子どものころの自分を、思い出していた。いや、ふつう思い出というのは、思い出そうとして、思い出すもの。しかしここでは、そうではない。

 川の底から、怒涛のように、思い出が、脳裏の中に、つぎつぎと浮かんできた。

 言い忘れたが、板取村は、私の実母の在所のある村。私にとっては、この村のほうが、ふるさとと言ってもよい。生まれ育ったのは、板取村から車で1時間ほどのところにある、M市だが、そのM市を、自分のふるさとと思ったことは、一度もない。

 私にとっては、M町は、いやな町だった。今も、いやな町である。








●村長

 少し前まで、つまりこの板取村と関市が合併する前まで、この板取村の村長は、長屋K氏という人物だった。母の実家の隣人である。

 だから子どものころから、そのK氏のことはよく知っている。いつも薄い下着だけで、縁側に座って涼んでいた。おだやかな性格の、人徳のある人だった。確か私より10歳ほど、年長ではなかったか。

 私は、そのK氏が、村長になったと聞いたとき、驚くと同時に、心底、うれしかった。で、そのあとは、一度も、会っていない。私にとっては、そのまま畏(おそ)れおおい人となってしまった。

 宿屋の主人に、K氏のことを話すと、「そうですね。合併する前まで、村長でした」と話してくれた。



●山林

 今日、こうして板取村にやってきたのは、先に書いたように、自分の買った山林を確かめるためである。

 この25年の間に、雪害などがあったりして、かなり痛んだという話も聞いている。それにここ20年来の山林不況で、立ち木の価値はさがる一方。今では買ったときの値段の5分の1でも、売るのがむずかしいという。木そのものは、45年木(ぼく)になっているというのに!

 あきらめてはいるが、しかしここまで価値がさがるとは! そのとき、だれがそう思っただろうか。少なくとも、値段はさがらないと思っていた。木は、年々、成長する。

 地元の森林組合の人に相談すると、あっさりと、「それはだまされましたね」と言った。買った当時ですら、相場の10倍以上の値段だったという。

 よく調べないまま、売り主の言いなりの値段で買った私が、愚かだった。





●後悔

 しかし不思議なものだ。こうして民宿の一室で、柱に背をもたれかけさせ、パソコンのキーボードをたたいていると、その(うらみ)が、どんどんと消えていくのがわかる。

 森の香り、木々の放つ生気。ここはまさしく、深緑の木で包まれた水墨画の世界。そういう世界に包まれていると、私は、その山林で損をした以上のものを、この村からもらったのがわかる。

 「損をした」「損をした」と思いながらすごすのも、これからの10年。しかしその10年のうちに、私にとって最良であるべき、10年が流れてしまう。「損をした」とか、「得をした」とか、そんなことを思っている間に、私の人生そのものが、終わってしまう。

 だったら、不愉快なことは、早く忘れること。

 内心では、「買ったときの値段で、だれかに売りたい」とは思っている。しかし今となれば、10分の1でもよい。早くケリをつけて、気分を楽にしたい。

 いや、この民宿に来てからは、正直なところ、それさえもうどうでもよくなってしまった。先ほど、ワイフに、「あんな山林、だれかにくれてやろうか」と話すと、ワイフも、少しためらったあと、「そうねえ……」と。

 あのころは、家1件分の値段で、その山林を買った。しかし今では、山林を売ったとしても、そのお金では、駐車場を作るのも、むずかしい。

私「損をしたと思いながら、仕事でがんばったから、損はしていないかもしれないよ」
ワ「そうね」と。




●頭痛

 部屋へ入ってから、ワイフは、頭痛がすると言って、コタツの中で、横になっている。先ほど、湿布薬を2枚、ひたいに張りつけてやった。薬も渡した。

 私のバッグの中には、そうした薬が、一式、すべて入っている。頭痛薬に胃薬、精神安定剤に催眠薬、目薬に、各種ハーブ薬、花粉症の薬もある。いつごろからか、そういう習慣になってしまった。で、そのせいか、どこへ行くにも、そのバッグがないと不安でならない。

 昨夜はいろいろあって、床についたのは、午前1時ごろ。今日は私ひとりで板取村へ来るつもりだったが、朝になって、ワイフが、「私もついて行く」と言い出した。「あなたひとりでは、心配だから」と。

 このところ、中高年者の自殺がふえているという。とくに50代があぶないという。それをワイフを心配したわけではないが、しかし私の中で自殺願望が、このところ、年々、大きくなっているのがわかる。「このまま死ねたらいいね」とか、そんなことを、平気で口に出して言うことが多くなってしまった。

 そのワイフは、たった今、寝息をたて始めた。一見、元気そうな女性だが、先日の健康診断の結果によれば、私より不健康。とくに血圧が高い。……ここ数年で、急に高くなった。だからこうして睡眠不足のまま旅行をしたりすると、すぐ頭痛を起こす。

 つまるところ、私が悪い。このところワイフに何かにつけて、心配ばかりかけている。

●板取の見所

 民宿「ひおき」の玄関先には、何枚かのパンフレットが並べてある。ひおきの名刺カードもある。それには、こうある。

 冬は雪の中、薪ストーブ、しし鍋、鴨鍋、岩魚骨酒
 あまご釣り解禁……3月1日〜
 虹ますのから揚げ
 美しい新緑の板取……4月末〜
 山の祭り……5月連休
 石楠花、見ごろ
 鮎釣り解禁……あじさい祭、6月中旬
 絶品の香り高い板取川の鮎
 主が調達(要予約)
 自慢の新米こしひかり……10月〜、と。

 板取川といえば、鮎釣りのメッカ。友釣りがよく知られている。その板取川だが、私は子どものころから、板取川だけを見て育ったこともあり、「川というのは、そういうものだ」と思っていた。





 しかしこれはたいへんなまちがいだった。以後、日本はもちろんのこと、世界であちこちの川を見てきたが、長良川、とくにこの板取川ほど、美しい川を見たことがない。どこへ行っても、そうだった。

 そのためいつごろからかは忘れたが、私はそういう自分を誇らしく思うようになった。「ラッキーだった」というような軽い気持ではない。それほどまでに美しい川が、いつも私の心の中を流れている。それは言うなれば優越感を超えた、自尊心のようなものではないか。

 どこかでだれかが、美しい川を見せてくれても、私はいつも、心の中ではこう思う。「何だ、こんな川! 板取川のほうが、ずっときれいだ。君は、板取川を知らないのか。ぼくは、子どものころ、その板取川で育ったのだぞ!」と。

●みやげ屋

 板取川温泉のみやげ屋は、午後6時に閉まるという。朝は、10時から。いろいろ時間をすり合わせてみたが、夕食前の時間帯にしか、みやげを買う時間がない。それで、私は、民宿からみやげ屋まで、2往復するハメに。

 最初の1往復で、夕方6時までしか開いていないことを知った。つぎの1往復は、お金をもって、でかけた。

 来週、友人たちと会食をすることになっている。そのとき、その友人たちに、この板取のみやげを手渡したい。私は、ほうば味噌、佃煮類を、2〜3個ずつ、まとめて買った。人にあげるものは、その前に、一応、私のほうで試食をしてからにしたい。それもしないで、いきなり渡すのは、失礼かも(?)。

 「これは、こういう味です」と説明しながら、渡ししたい。
 
 で、こういうときのコツは、自分が食べたいものを選ぶこと。(当然のことだが……。)最近の傾向としては、みやげというと、食べ物が多くなった。若いころは、置き物とか、そういうものが多かったように思う。

 どうしてだろう?

 ひとつには、置き物のもつむなしさというか、そういうものがわかるようになった。悪く言えば、どうせゴミになるだけ。とくに最近のみやげには、こう書いてある。「MADE IN CHINA」と。中には、100円ショップで100円のものに、300円とか、400円の値段がついていることがある。

が、本当の理由は、もう新しい思い出をつくる気力がわいてこない。(ジジ臭い話で、ゴメン!)それとも、今、こうしてワイフと民宿に泊まったという思い出が、いつか輝くときが、くるのだろうか? 私は、もう、そういうことはないと思う。

 だからどうしても、食べ物が多くなる。そのときの(思い出)は、腹の中に入れて、それでおしまい! あとは忘れて、バイバイ。人生も、こうして、より淡白になっていく。

●夕食

 夕食は、階下で、2人だけですました。ちょうどシーズンオフということで、おかげでのんびりできた。

 料理は、★4つの、★★★★。心のこもった料理に、ワイフも大満足。1泊1人、9500円ということなので、それほど料理には、期待していなかった。しかしおいしかった。写真は何枚かとったので、マガジンのほうで、それを紹介するつもり。

(宿泊料金については、シーズンごとに異なるようなので、宿泊する人は、確かめてほしい。)

 宿の主人は、どこかほかの地方からの人だということらしい。女将は、地元の人だという。食事中も、話がはずむ。









●入浴

 風呂は、男女別に分かれていたが、その必要はない。私をワイフは、2人で1つの湯船につかった。ステンレス製の、大きな風呂だった。

 体をじゅうぶん、のばした。くつろいだ。旅館にもいろいろある。民宿にもいろいろある。しかしもしみなさんが、何らかの機会で、この板取村へ来るような機会があれば、ひおきを推薦する。筑後2年目(06年)という新しさもあるが、「本物」であることは、使っている材木を見ただけでわかる。

 食堂の大黒柱だけでも、40センチ角のひのき材を使っている。都会では絶対に見られない、大黒柱である。民宿だが、しかし旅館で、これほどの材木を使っている旅館は、あるだろうか?

●いとこに会う

 風呂から出ると、そこにいとこ夫婦が立っていた。3、4年ぶりの再開である。時間は忘れたが、別れたとき時計を見ると、午後11時を過ぎていた。

 「明日は早いですから」と、いとこの妻は言った。

 外まで見送ると、いとこは白い車に乗って、そのまま去っていった。

 いとこ夫婦は、今年は、たいへんだ。長女と、長男の、専門学校と高校の、入学が重なった。そのため3月中は、目の回るような急がしだったという。子どものころの楽しかった話というよりは、その苦労話が尽きない。

 そうしてあっという間に、数時間という時間が過ぎた。

●就寝

 私たちが泊まった部屋は、川に面した、一番北よりの部屋だった。まだ木の香りがプンとする、真新しい部屋だった。

 部屋は10畳。電気を消すと、朝まで、ぐっすりと眠ることができた。ワイフが横でモゾモゾと動いたので、「何時?」と聞くと、「8時よ」と言った。カーテンがわりになっている白い障子窓を通して、まばゆおいばかりの朝の光が、部屋の中に届いていた。

 久しぶりに、よく眠った。こんな安らかな朝を迎えたのは、何年ぶりだろう。私にとっては、そんな朝だった。

 ここへ来るまでは、私に山林を売りつけた男に、少なからず、うらみを覚えていた。顔を見るのもいやだった。その前に、この板取村に来るのも、いやだった。思い出が多いとはいえ、その思い出の上に、いやな思い出が、その山林のおかげで、上書きされてしまった。

 が、そのうらみは消えた。

 目の前に流れる川では、よく遊んだ。手前の土手は、キャンプ場になっていて、一度、イノシシがいたのを覚えている。









 この先、川を上流に向かっていくと、このあたりでは珍しい、大渓谷になっている。その渓谷の上から下をのぞいたこともある。その途中で、魚をとって、その場で焼いて食べたこともある。

 そんな楽しかった思い出が、つぎつぎと、そのいやな思い出の上に、さらに上書きされていく。

私「今朝の夢には、昔の教え子たちが出てきたよ」
ワ「珍しいわね」
私「それに、子どものころの二男も出てきた」
ワ「フ〜ン」
私「安らかな夢だった」
ワ「珍しいわね」と。

 障子戸を開けると、まっすぐ朝の陽光が、ガラス窓を通して、部屋に入ってきた。とたん、あのつんとした冷気が消え、春のような陽気が部屋に充満した。

 窓の外を見ると、深緑の杉の林を背にして、黒い大きな山がそこにあった。右のほうには、幾重にも重なった、尾根が、それぞれ色を変えて、そこに連なっていた。

 GOOD MORNING! 今日は、忙しい1日になりそうだ。

 これから山の中を歩く……体力は、OK! 体調も、OK! 気分は、そう快!



【宿の案内】



 山の宿……ひおき
 電話 0581−57−2756
 住所 〒501−2901 岐阜県関市板取3752−1







民宿「山の宿 ひおき」の川の反対側に
板取川温泉がある。
ただしここでの公用語は、ドイツ語。
ドイツ語に自信のある方は、ぜひ、
温泉に入浴してみたらよい。






ただし、案内板は、日本語で書いてあった。ホッ!




以下、板取川の清流を、お楽しみください。


















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