子供の進路
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●子どもの進路について(050720)

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京都府にお住まいの、HUさん(母親)から、
こんな相談のメールが届いています。

みなさんと、いっしょに、この問題を、考えて
みたいと思います。

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 はじめまして、ある掲示板で、はやしさんのことを知る事ができ、いろいろ読ませていただいています。

 現在高3の娘と高1の息子を、子育て中です。

上の娘は何でも一人で考えてキチンとこなす子なのですが、下の息子は何をするのも慣れるまで時間がかかるので、こちらもつい口出しをしてしまいます。母子でいつも大騒ぎしています。主人が転勤族なので子供達も、転校続きでしたが、今まではお友達とそのお母さん方に恵まれ、悩む事もあまり無く過ごせてきました

 しかし息子の高校受験からちょっと雲行きが怪しくなってきました。高校入学後、部活と通学に精一杯で、勉強を一切しなくなってしまったのです。

 第一〜第四まで落ちてしまったので、すべり止めで入学した学校ですが、後ろを振り返ったら何人もいない状態です。受験まで分からない事があると、私が教えていました。

 学生時代、私もそんなに賢かったわけではないので、一緒に勉強しました。これを高校へ入ってからもやるべきかそれとも放っておくべきか、迷っています。

 娘の時は一切見ていません。
 息子は言われなければ夏休みも部活だけで何もしないでしょう。それをそばで見ないふりをするのが、彼にとって良いのは分かっています。

 でも取り返しのつかないバカになってしまいそうで、不安です。おかしいですか? 笑ってしまいますか? 私も書いていて笑ってしまいます。でも真剣です。

 学校は進学校で、受験指導なども真剣にやってくれていますが、息子の心には響かないようです。受験失敗の後、いろいろな葛藤があり、それも尾をひいているのかなとも思います。息子は必死でやった、らしいですが、母親の私の目にはその様に映らなかった。

 でも息子の話を聞くうちにこの子の限界だったのかな、可愛そうだったなという気持ちになりました。

 お忙しそうですのでお返事は期待していません。

 何かの機会に高校生の扱い方みたいなことを書いていただけたらと思います。アホな母でした。

++++++++++++++++++++++はやし浩司

 子どもは、小学3、4年生を境に、急速に親離れを始め、そのころから、おとなになるための、心の準備を始めます。たいていは、不安と心配、孤独と期待の、入りまざった心の状態になります。

 「自分が餞別される」というのは、子どもにとっては、恐怖以外の何ものでもありません。それに将来に対する、不安もあります。相談を寄せてくださったHUさんも、若いころ、その時代には、そうだったと思いますが……。

 が、たいていの親は、それに気づかない。気づかないまま、つまり子離れできないまま、そのままの関係を維持しようとします。「まだ、何とかなる」「こんなはずは、ない」と、です。

 しかし中学生ともなると、もう子どもは、子どもではない。言いかえると、子どものある部分は、親の手の届かないところに、行ってしまっている……。子どもというのは、そういうものです。

 で、この時代に、夢と希望、それに目標をもっている子どもは、幸福です。その目標に向かって、前に進むことができます。しかし現実には、夢や希望すらない子どものほうが、多いのです。いろいろな調査結果からみても、夢や希望をもっている子どもは。全体の30%前後(小学6年生レベル)。約70%の子どもは、毎日を、そこに毎日があるから過ごしているだけというような、過ごし方をしています。

 これが現実です。

 そこで、多くの親たちは、子どもを受験にかりたてます。

 しかしここで誤解してはいけないことは、目的(?)の学校に、合格することは、ここでいう「子どもの目的」ではないということです。学歴社会という社会が、勝手につくりあげた(目的)にすぎないということです。学歴社会では、それなりのメリットもあり、「目的」となりえるかもしれません。しかし「学歴があるから、どうなの?」という部分がないまま、学歴を子どもに求めても、今の子どもたちは、それには納得しないでしょう。

 夢や希望が、ベースにあり、その夢や希望を果たすために、学歴が必要ということなら、子どもも、それに納得するだろうということです。たとえば医者になりたいとか、建築士になりたいとか、あるいは科学者になりたいとか、そういう夢や希望です。

 それがないまま、ただ「勉強しなさい」「いい大学に入りなさい」と、子どもを攻めたてても、子どもはかえって、反発するだけだということです。

 現に今、地元の中学生にしても、約60%の子どもたちは、「勉強で苦労するくらいなら、部活動を一生懸命して、推薦で、高校へ入ったほうがいい」「進学校はいやだ。勉強しなければならないから」と考えています。ある中学校の校長が、こっそりと、私にそう話してくれました。

 私たちの世代と、HUさんたちの世代とは、大きく、ものの考え方がちがいます。同じように、HUさんたちの世代と、HUさんの子どもの時代は、これまた大きく、ものの考え方がちがいます。昔のように、「学歴をぶらさげて……」という時代は、終わりつつあるということです。

 (だからといって、決して、学力、学問を否定しているわけではありません。どうか誤解のないように!)

 で、全体としてHUさんのメールを読んで感じたことは、今の段階では、もはやHUさんに、できることは、ほとんどないということです。あるとすれば、現状を受け入れ、HUさんの子どもを、信ずるしかないということです。

 実は、私の息子の一人がそうでした。こんなことがあります。その息子は、自分のHPの中で、「ぼくは、高校時代、落ちこぼれだった」と書いていますが、(私は、決して、そうは思っていませんが……)、私には、自慢の息子です。人格的には、私よりはるかにすぐれた子どもです。

 そのエッセー(中日新聞掲載済み)を転載しておきます。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●子どもが巣立つとき

 階段でふとよろけたとき、三男がうしろから私を抱き支えてくれた。いつの間にか、私はそんな年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太くなった息子の腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。

 男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。息子が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、ネクタイをしめてやったとき。

そうそう二男のときは、こんなことがあった。二男が高校に入ったときのことだ。二男が毎晩、ランニングに行くようになった。しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教えてくれた。

「友だちのために伴走しているのよ。同じ山岳部に入る予定の友だちが、体力がないため、落とされそうだから」と。

その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。いや、それ以後は二男を、子どもというよりは、対等の人間として見るようになった。

 その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育ても終わってみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠い昔に追いやられる。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子たちの話に耳を傾けてやればよかった」と、悔やむこともある。そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。そしていつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生も終わりに近づく。

 その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたときのこと。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわからなかった。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。うしろから女房が、「Sよ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。

 何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれが勝手なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツのふとんを、「臭い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。長男や二男は、そういう三男を、横からからかう。そんな思い出が、脳裏の中を次々とかけめぐる。

そのときはわからなかった。その「何でもない」ことの中に、これほどまでの価値があろうとは! 子育てというのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違うと、思わず、「いいなあ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってくださいよ」と声をかけたくなる。レストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近は、気にならなくなった。「うちの息子たちも、ああだったなあ」と。

 問題のない子どもというのは、いない。だから楽な子育てというのも、ない。それぞれが皆、何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、その時代が人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子育てで苦労しているなら、やがてくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽くなるはずだ。 

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【HUさんへ(2)】

 そんなわけで、二男は、中学3年から高校3年にかけて、勉強らしい勉強は、ほとんどしませんでした。それを許した背景には、いろいろな理由がありますが、私は、「二男は、生きていてくれるだけでじゅうぶん」という、強い思いがありました。

 それについて書く前に、私は、二男を、二男が幼児のときから、尊敬していました。本当です。

 ある朝、いつものように職場の幼稚園へ行くと、園庭で二男が遊んでいました。みなが乗る三輪車を、うしろから押しているのです。二男の押すその三輪車を待って、10人近い園児たちが、列をつくって待っていました。

 毎朝、二男がそれをしているものですから、見るに見かねて、ある日、私は二男にこう言いました。「なあ、お前、たまには、お前がだれかに押してもらってはどうだ?」と。

 すると二男は、笑いながら、こう言いました。「パパ、ぼくは、そのほうが楽しい」と。幼児のときから、二男は、そういう子どもでした。

 何度も、マガジンで取りあげた原稿ですが、「生きていてくれるだけでいい」と思うようになった背景について書いた原稿が、つぎの原稿です。(中日新聞掲載済み)

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●生きる源流に視点を
      
 ふつうであることには、すばらしい価値がある。その価値に、賢明な人は、なくす前に気づき、そうでない人は、なくしてから気づく。青春時代しかり、健康しかり、そして子どものよさも、またしかり。

 私は不注意で、あやうく二人の息子を、浜名湖でなくしかけたことがある。

その二人の息子が助かったのは、まさに奇跡中の奇跡。たまたま近くで国体の元水泳選手という人が、魚釣りをしていて、息子の一人を助けてくれた。

以来、私は、できの悪い息子を見せつけられるたびに、「生きていてくれるだけでいい」と思いなおすようにしている。が、そう思うと、すべての問題が解決するから不思議である。特に二男は、ひどい花粉症で、春先になると決まって毎年、不登校を繰り返した。あるいは中学三年のときには、受験勉強そのものを放棄してしまった。私も女房も少なからずあわてたが、そのときも、「生きていてくれるだけでいい」と考えることで、乗り切ることができた。

 昔の人は、いつも、『上見てきりなし、下見てきりなし』と言っている。人というのは、上を見れば、いつまでたっても満足することなく、苦労や心配の種はつきないものだという意味だが、子育てで行きづまったら、子どもは下から見る。「下を見ろ」というのではない。下から見る。「子どもが生きている」という原点から、子どもを見つめなおすようにする。

朝起きると、子どもがそこにいて、自分もそこにいる。子どもは子どもで勝手なことをし、自分は自分で勝手なことをしている……。一見、何でもない生活かもしれないが、その何でもない生活の中に、すばらしい価値が隠されている。つまりものごとは下から見る。それができたとき、すべての問題が解決する。

 子育てというのは、つまるところ、「許して忘れる」の連続。この本のどこかに書いたように、フォ・ギブ(許す)というのは、「与える・ため」とも訳せる。またフォ・ゲット(忘れる)は、「得る・ため」とも訳せる。つまり「許して忘れる」というのは、「子どもに愛を与えるために許し、子どもから愛を得るために忘れる」ということになる。

仏教にも「慈悲」という言葉がある。この言葉を、「as you like」と英語に訳したアメリカ人がいた。「あなたのよいように」という意味だが、すばらしい訳だと思う。この言葉は、どこか、「許して忘れる」に通ずる。

 人は子どもを生むことで、親になるが、しかし子どもを信じ、子どもを愛することは難しい。さらに真の親になるのは、もっと難しい。大半の親は、長くて曲がりくねった道を歩みながら、その真の親にたどりつく。楽な子育てというのはない。ほとんどの親は、苦労に苦労を重ね、山を越え、谷を越える。そして一つ山を越えるごとに、それまでの自分が小さかったことに気づく。が、若い親にはそれがわからない。

ささいなことに悩んでは、身を焦がす。先日もこんな相談をしてきた母親がいた。東京在住の読者だが、「一歳半の息子を、リトミックに入れたのだが、授業についていけない。この先、将来が心配でならない。どうしたらよいか」と。こういう相談を受けるたびに、私は頭をかかえてしまう。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●家族の真の喜び
   
 親子とは名ばかり。会話もなければ、交流もない。廊下ですれ違っても、互いに顔をそむける。怒りたくても、相手は我が子。できが悪ければ悪いほど、親は深い挫折感を覚える。「私はダメな親だ」と思っているうちに、「私はダメな人間だ」と思ってしまうようになる。

が、近所の人には、「おかげでよい大学へ入りました」と喜んでみせる。今、そんな親子がふえている。いや、そういう親はまだ幸せなほうだ。夢も希望もことごとくつぶされると、親は、「生きていてくれるだけでいい」とか、あるいは「人様に迷惑さえかけなければいい」とか願うようになる。

 「子どものころ、手をつないでピアノ教室へ通ったのが夢みたいです」と言った父親がいた。「あのころはディズニーランドへ行くと言っただけで、私の体に抱きついてきたものです」と言った父親もいた。が、どこかでその歯車が狂う。狂って、最初は小さな亀裂だが、やがてそれが大きくなり、そして互いの間を断絶する。そうなったとき、大半の親は、「どうして?」と言ったまま、口をつぐんでしまう。

 法句経にこんな話がのっている。ある日釈迦のところへ一人の男がやってきて、こうたずねる。

「釈迦よ、私はもうすぐ死ぬ。死ぬのがこわい。どうすればこの死の恐怖から逃れることができるか」と。

それに答えて釈迦は、こう言う。「明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」と。私も一度、脳腫瘍を疑われて死を覚悟したことがある。そのとき私は、この釈迦の言葉で救われた。そういう言葉を子育てにあてはめるのもどうかと思うが、そういうふうに苦しんでいる親をみると、私はこう言うことにしている。「今まで子育てをしながら、じゅうぶん人生を楽しんだではないですか。それ以上、何を望むのですか」と。

 子育てもいつか、子どもの巣立ちで終わる。しかしその巣立ちは必ずしも、美しいものばかりではない。憎しみあい、ののしりあいながら別れていく親子は、いくらでもいる。しかしそれでも巣立ちは巣立ち。親は子どもの踏み台になりながらも、じっとそれに耐えるしかない。

親がせいぜいできることといえば、いつか帰ってくるかもしれない子どものために、いつもドアをあけ、部屋を掃除しておくことでしかない。私の恩師の故松下哲子先生*は手記の中にこう書いている。「子どもはいつか古里に帰ってくる。そのときは、親はもうこの世にいないかもしれない。が、それでも子どもは古里に帰ってくる。決して帰り道を閉ざしてはいけない」と。

 今、本当に子育てそのものが混迷している。イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学賞受賞者でもあるバートランド・ラッセル(一八七二〜一九七〇)は、こう書き残している。

「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけれど、決して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜びを与えられる」と。

こういう家庭づくりに成功している親子は、この日本に、今、いったいどれほどいるだろうか。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【HUさんへ(3)】

 もう一つ、たいへん気になるのは、「バカ」という言葉です。それについても、こんな原稿を書いたことがあります。どうか、参考にしてください。(最近は、YR氏の書いた「バカのxx」という本の影響でしょうか、バカという言葉が、たいへん安易に使われるようになりました。とても残念なことです。が、私は、もう少し、別の角度から、考えています。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●バカなフリをして、子どもを自立させる

 私はときどき生徒の前で、バカな教師のフリをして、子どもに自信をもたせ、バカな教師のフリをして、子どもの自立をうながすことがある。「こんな先生に習うくらいなら、自分で勉強したほうがマシ」と子どもが思うようになれば、しめたもの。親もある時期がきたら、そのバカな親になればよい。

 バカなフリをしたからといって、バカにされたということにはならない。日本ではバカの意味が、どうもまちがって使われている。もっともそれを論じたら、つまり「バカ論」だけで、それこそ一冊の本になってしまうが、少なくとも、バカというのは、頭ではない。

映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母親はこう言っている。「バカなことをする人をバカというのよ。(頭じゃないのよ)」と。いわんやフリをするというのは、あくまでもフリであって、そのバカなことをしたことにはならない。

 子どもというのは、本気で相手にしなければならないときと、本気で相手にしてはいけないときがある。本気で相手にしなければならないときは、こちら(親)が、子どもの人格の「核」にふれるようなときだ。

しかし子どもがこちら(親)の人格の「核」にふれるようなときは、本気に相手にしてはいけない。そういう意味では、親子は対等ではない。が、バカな親というのは、それがちょうど反対になる。「あなたはダメな子ね」式に、子どもの人格を平気でキズつけながら(つまり「核」をキズつけながら)、それを茶化してしまう。そして子どもに「バカ!」と言われたりすると、「親に向かって何よ!」と本気で相手にしてしまう。

 言いかえると、賢い親(教師もそうだが)は、子どもの人格にはキズをつけない。そして子どもが言ったり、したりすることぐらいではキズつかない。「バカ」という言葉を考えるときは、そういうこともふまえた上で考える。私もよく生徒たちに、「クソジジイ」とか、「バカ」とか呼ばれる。しかしそういうときは、こう言って反論する。

「私はクソジジイでもバカでもない。私は大クソジジイだ。私は大バカだ。まちがえるな!」と。子どもと接するときは、そういうおおらかさがいつも大切である。
  
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●高校野球に学ぶこと

 懸命に生きるから、人は美しい。輝く。

価値があるかないかの判断は、あとからすればよい。生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。

たとえば高校野球。私たちがなぜあの高校野球に感動するかといえば、そこに子どもたちの懸命さを感ずるからではないのか。たかがボールのゲームと笑ってはいけない。私たちがしている「仕事」だって、意味があるようで、それほどない。「私のしていることは、ボールのゲームとは違う」と自信をもって言える人は、この世の中に一体、どれだけいるだろうか。

 私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの「ヘアー」を見た。幻想的なミュージカルだった。あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。

「♪その人はどこにいる。私たちがなぜ生まれ、なぜ死ぬのか、それを教えてくれる人はどこにいる」と。

それから三十年。私もこの問題について、ずっと考えてきた。そしてその結果というわけではないが、トルストイの「戦争と平和」の中に、私はその答えのヒントを見いだした。生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は減びるアンドレイ公爵。一方、人生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福になるピエール。そのピエールはこう言う。

「(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進むこと。生きること」(第五編四節)と。つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。

もっと言えば、人生の意味などというものは、生きてみなければわからない。映画「フォレスト・ガンプ」の中でも、フォレストの母は、こう言っている。「人生はチョコレートの箱のようなもの。食べてみるまで、(その味は)わからないのよ」と。

 そこでもう一度、高校野球にもどる。一球一球に全神経を集中させる。投げるピッチャーも、それを迎え撃つバッターも真剣だ。応援団は狂ったように、声援を繰り返す。みんな必死だ。命がけだ。ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投げられ、そしてそれが宙を飛ぶ。その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだまする。一瞬時間が止まる。が、そのあと喜びの歓声と悲しみの悲鳴が、同時に場内を埋めつくす…。

 私はそれが人生だと思う。そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみあって人間の社会をつくる。つまりそこに人間の生きる意味がある。いや、あえて言うなら、懸命に生きるからこそ、人生は意味をもつ。生きる価値がある。

言いかえると、そうでない人に、生きる意味などわからない。情熱も熱意もない。夢も希望もない。毎日、ただ流されるまま、その日その日を無難に過ごしている人には、生きる意味などわからない。さらに言いかえると、「私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、子どもたちに問われたとき、私たちが子どもたちに教えることがあるとするなら、懸命に生きる、その生き様でしかない。

あの高校野球で、もし、選手たちが雑談をし、菓子をほうばりながら、適当に試合をしていたら、高校野球としての意味はない。感動もない。見るほうも、つまらない。そういうものはいくら繰り返しても、ただのヒマつぶし。人生もそれと同じ。そういう人生からは、結局は、何も生まれない。高校野球は、それを私たちに教えてくれる。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【HUさんへ(3)】

 信ずるということは、疑わないこと。あなたが疑ったとたん、あなたの子どもは、進むべき道を、本当に、見失ってしまいます。

 そこであなたが今、すべきことは、そして、あなたの子どもに言うべきことは、こうです。

「どんなことがあっても、私はあなたの味方ですよ。どんな道をあなたが選んでも、私は、あなたを支持しますからね」と。

 最後に、あなたの子どもは、決して、「バカ」ではありません。おかしいとも思いません。悲しいとも思いません。すばらしいお子さんです。どうか、どうか、自分の子どもを、そういうふうに、考えるのは、やめてください。

 今、あなたの子どもは、あなたが悩んでいる以上に悩み、苦しんでいます。外からは、それが見えないだけです。ですからあなたがそんなことを言ったら、あなたの子どもは、どうしたらいいのでしょうか。

 私も、M物産という会社をやめ、幼稚園の講師になったとき、母は、こう言いました。「浩ちゃん、あんたは、道を誤ったア!」と。母は、ギャーギャーと電話口の向こうで、そう泣き叫びました。

 そのあと私は、一週間の間、自分にこう言って聞かせなければなりませんでした。「浩司、死んではだめだ」と。

 私は、母だけは、私を支えてくれると思ったのですが、それは、甘い幻想でした。が、もしあのとき、母だけでも、私を支えてくれていたら、そののちの私の人生は、大きく変わっていただろうと思います。

 今にして思えば、とても、残念なできごとでした。

 以上ですが、HUさんの何かの参考になれば、うれしいです。

 がんばりましょう! がんばるしかないのです。あとは「許して、忘れる」ですよ!
(はやし浩司 子どもの進路 子供の進路 進学指導 思春期の子供 子供の問題)





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