子供への対処のし方
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●子どもへの対処のし方(050720)

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浜松市にお住まいの、NEさん(2児の母親)から、
子どもへの対処のし方についての、相談がありまし
た。

今回は、それについて、考えてみます。
(050720)

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●子供の叱り方について


 双子の男の子の母です。春に、ようやく小学1年生になりました。年中の時に、林先生の講演を聴き、メールマガジンの愛読者になり、もう2年目になりました。

 あの頃の自分よりは子育てに生活に余裕が生まれ、ぎこちなさや、完璧主義、過干渉は減ってはいます。ただすぐになおったというわけでなく、まだまだ私に問題は多く、いけないことですが手をあげてしまったり、怒鳴り散らすという事があります。情けないのですが・・・。

 子供も小学生になり、随分しっかりしてきたように思います。

 学区の関係で10分以内で通える小学校ではなく、30分以上もかかる小学校に、毎日汗をかきながら通っている姿は、本当にけなげに思います。学校は遠い方が丈夫になると簡単に言ってくれますが、本人達にとっては過酷としか思えません。

 今日のような暑い日には、熱中症にならないかと心配も絶えないし、決して安全とはいえない道中を歩かせることも、心配です。遊ぶ時間が減ることについても、親としては納得のいかないなどと、矛盾した思いでいます。(これは行政の文句ですね!すみません)

 本題ですが、最近S君の方が怒っても、いい加減に聞き流す傾向が強く、言うこともきかないし、都合が悪いと聞えないふりをしたり、親の顔色をみたり、平気で悪いことを調子に乗ってやってのけたりと、目に余る行動が多いのです。

 私もがんじがらめに怒るつもりはないのですが、やはりちゃんとわかってほしいので、しつこく言ったり、くどくどと話をしたり、ビンタをしたり、そのまま、だんだんと叱り方がひどくなってエスカレートしてしまいます。

 昨日は、パパに、「そんなに追い込むなよ」とまで言われてしまいました。そのいい加減さや調子のよさ、ズルさが私としては本当に許せないわけですが。涙を流した後、「ごめんなさい」といってしまえば、次の行動では、けろっと忘れてまた同じことをします。甘えて手を握ってきたり、(私はこれが生理的に許せないのですが)、怒るのも許すのも、相性があるんだなと思います。

 もう片方の子供はわりに素直です。(違った面での問題はありますが)、きっと基本的に自分に似ているのだと思います。私には適当さと、いい加減さが足りなく、子供にとってはとても窮屈な子育てであることに違いないと思います。

 今朝、チックのような症状がでていました。あーあ。どうしたものか・・・。そして確実に私の心から離れていくのを感じます。S君は子犬のように、始終甘えてくっついているくせに、わがままで言いたいことを言っています。
 
 反抗期であり、これも自立かと思いますが、どこで線をひき、どこまで干渉していいものか? 怒られなければ、どんどんやっちゃう所もとても嫌なんですが、多少は寛大にみてる時だってあるんです。上手く叱る心に残るケジメや正義感、やっていいこと、悪いこと上手くできるコツや私の反省点があったらアドバイスください。

 直すって言うよりは、きっとこれから心がけていくこと、注意点ってことでしょうか、きっと私も子供も治るってことではなく、上手くやっていくコツみたいなことだとおもうのです。

 すみません。長々と書いてしまいました。

 夏休み前、毎日イライラして怒るのかと思うとウンザリ。楽しい夏休みにしてあげたくて色々な予定を入れています。どうなるのでしょう・・・。不安です。

【 とりあげてほしいテーマをお寄せください。 】:

 教室の様子はとても参考になります。

 先生と子供との会話はいつもいきいきとして、心が温かくなります。生の声(ちょっと変?)臨場感があるといったほうが適切ですね。子育てをしていて、いつも書いて欲しいと思うことは自分と同じ立場でのケースや、問題解決までのいきさつなど。私はこうしたとかこういう話があったとか、こういうケースではこうだったとかいう情報です。

 また先生は外国ではこういう考え方があるとか幅の広い情報です。自分がどういう子育てをしているのかや問題点を客観的に考えることが出来ることが、とても必要だと思うのです。

【 ご希望をお寄せください。 】:

 先生も頑張ってください。(単純な言葉ですみません)

 確かに目標達成するのは大変だと思いますが。影ながら応援しつつ、私も愛読し続けています!!

 先生の話は生活そのものの中に答えがあり、テーマもあり、時代を超えて感じるものがあります。

 政治の話は忙しい時には省いて読んでしまうことがあり申し訳なく思ってしますが、無くしてしまうにはもったいないと思っています。

 また、折角英語ができるので出来ない私にとっては羨ましい限り。よろしかったら子供と楽しく英語を学ぶ方法(家庭で)参考になる絵本などありましたら紹介してくださいませんか? 自然に学べる家庭の中で生かせるものがあったらなぁと、思うので。簡単で楽しいって程度でいいです。(苦笑)まずは英語が楽しく思えること!

+++++++++++++++++はやし浩司

【NEさんへ……】

 子育ては、リズムですね。親子のリズムです。そのリズムが合っていれば、それでよし。そうでなければ、長い時間をかけて、ギクシャクしてきます。

 S君とのリズムは、あまり合っているとは思われません。恐らくそのはじまりは、ほんのささいなことだったと思います。生後直後の、ひょっとしたら、NEさん自身すらも忘れてしまっているようなことです。

 「こちらの方の子どもは、むずかしそう……」とか、そんなふとした思いが、どこかで別のリズムを作ってしまいます。

 それについて書いたのが、つぎの原稿です。少し話が、それるかもしれませんが、参考にしてください。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

親子の断絶が始まるとき 

●最初は小さな亀裂

最初は、それは小さな亀裂で始まる。しかしそれに気づく親は少ない。「うちの子に限って……」「まだうちの子は小さいから……」と思っているうちに、互いの間の不協和音はやがて大きくなる。そしてそれが、断絶へと進む……。

 今、「父親を尊敬していない」と考えている中高校生は五五%もいる。「父親のようになりたくない」と思っている中高校生は七九%もいる(『青少年白書』平成一〇年)(※)。

が、この程度ならまだ救われる。親子といいながら会話もない。廊下ですれ違っても、目と目をそむけあう。まさに一触即発。親が何かを話しかけただけで、「ウッセー!」と、子どもはやり返す。そこで親は親で、「親に向かって、何だ!」となる。あとはいつもの大喧嘩!

……と、書くと、たいていの親はこう言う。「うちはだいじょうぶ」と。「私は子どもに感謝されているはず」と言う親もいる。しかし本当にそうか。そこでこんなテスト。

●休まるのは風呂の中

あなたの子どもが、学校から帰ってきたら、どこで体を休めているか、それを観察してみてほしい。そのときあなたの子どもが、あなたのいるところで、あなたのことを気にしないで、体を休めているようであれば、それでよし。あなたと子どもの関係は良好とみてよい。

しかし好んであなたの姿の見えないところで体を休めたり、あなたの姿を見ると、どこかへ逃げて行くようであれば、要注意。かなり反省したほうがよい。ちなみに中学生の多くが、心が休まる場所としてあげたのが、(1)風呂の中、(2)トイレの中、それに(3)ふとんの中だそうだ(学外研・九八年報告)。

●断絶の三要素

 親子を断絶させるものに、三つある。(1)権威主義、(2)相互不信、それに(3)リズムの乱れ。

(1)権威主義……「私は親だ」というのが権威主義。「私は親だ」「子どもは親に従うべき」と考える親ほど、あぶない。権威主義的であればあるほど、親は子どもの心に耳を傾けない。「子どものことは私が一番よく知っている」「私がすることにはまちがいはない」という過信のもと、自分勝手で自分に都合のよい子育てだけをする。

子どもについても、自分に都合のよいところしか認めようとしない。あるいは自分の価値観を押しつける。一方、子どもは子どもで親の前では、仮面をかぶる。よい子ぶる。が、その分だけ、やがて心は離れる。

(2)相互不信……「うちの子はすばらしい」という自信が、子どもを伸ばす。しかし親が「心配だ」「不安だ」と思っていると、それはそのまま子どもの心となる。人間の心は、鏡のようなものだ。イギリスの格言にも、『相手は、あなたが思っているように、あなたのことを思う』というのがある。

つまりあなたが子どものことを「すばらしい子」と思っていると、あなたの子どもも、あなたを「すばらしい親」と思うようになる。そういう相互作用が、親子の間を密にする。が、そうでなければ、そうでなくなる。

(3)リズムの乱れ……三つ目にリズム。あなたが子ども(幼児)と通りをあるいている姿を、思い浮かべてみてほしい。(今、子どもが大きくなっていれば、幼児のころの子どもと歩いている姿を思い浮かべてみてほしい。)そのとき、

(1)あなたが、子どもの横か、うしろに立ってゆっくりと歩いていれば、よし。

しかし(2)子どもの前に立って、子どもの手をぐいぐいと引きながら歩いているようであれば、要注意。今は、小さな亀裂かもしれないが、やがて断絶……ということにもなりかねない。

このタイプの親ほど、親意識が強い。「うちの子どものことは、私が一番よく知っている」と豪語する。へたに子どもが口答えでもしようものなら、「何だ、親に向かって!」と、それを叱る。そしておけいこごとでも何でも、親が勝手に決める。やめるときも、そうだ。

子どもは子どもで、親の前では従順に従う。そういう子どもを見ながら、「うちの子は、できのよい子」と錯覚する。が、仮面は仮面。長くは続かない。あなたは、やがて子どもと、こんな会話をするようになる。親「あんたは誰のおかげでピアノがひけるようになったか、それがわかっているの! お母さんが高い月謝を払って、毎週ピアノ教室へ連れていってあげたからよ!」、子「いつ誰が、そんなこと、お前に頼んだア!」と。

●リズム論

子育てはリズム。親子でそのリズムが合っていれば、それでよし。しかし親が四拍子で、子どもが三拍子では、リズムは合わない。いくら名曲でも、二つの曲を同時に演奏すれば、それは騒音でしかない。

このリズムのこわいところは、子どもが乳幼児のときに始まり、おとなになるまで続くということ。そのとちゅうで変わるということは、まず、ない。たとえば四時間おきにミルクを与えることになっていたとする。そのとき、四時間になったら、子どもがほしがる前に、哺乳ビンを子どもの口に押しつける親もいれば、反対に四時間を過ぎても、子どもが泣くまでミルクを与えない親もいる。

たとえば近所の子どもたちが英語教室へ通い始めたとする。そのとき、子どもが望む前に英語教室への入会を決めてしまう親もいれば、反対に、子どもが「行きたい」と行っても、なかなか行かせない親もいる。こうしたリズムは一度できると、それはずっと続く。子どもがおとなになってからも、だ。

ある女性(三二歳)は、こう言った。「今でも、実家の親を前にすると、緊張します」と。また別の男性(四〇歳)も、父親と同居しているが、親子の会話はほとんど、ない。どこかでそのリズムを変えなければならないが、リズムは、その人の人生観と深くからんでいるため、変えるのは容易ではない。

●子どものうしろを歩く

 権威主義は百害あって一利なし。頭ごなしの命令は、タブー。子どもを信じ、今日からでも遅くないから、子どものリズムにあわせて、子どものうしろを歩く。横でもよい。決して前を歩かない。アメリカでは親子でも、「お前はパパに何をしてほしい?」「パパはぼくに何をしてほしい?」と聞きあっている。そういう謙虚さが、子どもの心を開く。親子の断絶を防ぐ。

※……平成一〇年度の『青少年白書』によれば、中高校生を対象にした調査で、「父親を尊敬していない」の問に、「はい」と答えたのは五四・九%、「母親を尊敬していない」の問に、「はい」と答えたのは、五一・五%。また「父親のようになりたくない」は、七八・八%、「母親のようになりたくない」は、七一・五%であった。

この調査で注意しなければならないことは、「父親を尊敬していない」と答えた五五%の子どもの中には、「父親を軽蔑している」という子どもも含まれているということ。また、では残りの約四五%の子どもが、「父親を尊敬している」ということにもならない。この中には、「父親を何とも思っていない」という子どもも含まれている。白書の性質上、まさか「父親を軽蔑していますか」という質問項目をつくれなかったのだろう。それでこうした、どこか遠回しな質問項目になったものと思われる。

(参考)
●親子の断絶診断テスト 

 最初は小さな亀裂。それがやがて断絶となる……。油断は禁物。そこであなたの子育てを診断。子どもは無意識のうちにも、心の中の状態を、行動で示す。それを手がかりに、子どもの心の中を知るのが、このテスト。

Q1
あなたは子どものことについて…。
★子どもの仲のよい友だちの名前(氏名)を、四人以上知っている(0点)。
★三人くらいまでなら知っている(1点)。
★一、二人くらいなら何となく知っている(2点)。
★ほとんど知らない(3点)。

Q2
学校から帰ってきたとき、あなたの子どもはどこで体を休めるか。
★親の姿の見えるところで、親を気にしないで体を休めている(0)。
★あまり親を気にしないで休めているようだ(1)。
★親のいるところをいやがるようだ(2)。
★親のいないところを求める。親の姿が見えると、その場を逃げる(3)。

Q3
「最近、学校で、何か変わったことがある?」と聞いてみる。そのときあなたの子どもは……。
★学校で起きた事件や、その内容を詳しく話してくれる(0)。
★少しは話すが、めんどう臭そうな表情をしたり、うるさがる(1)。
★いやがらないが、ほとんど話してくれない(2)。
★即座に、回答を拒否し、無視したり、「うるさい!」とはねのける(3)。

Q4
何か荷物運びのような仕事を、あなたの子どもに頼んでみる。そのときあなたの心は…。
★いつも気楽にやってくれるので、平気で頼むことができる(0)。
★心のどこかに、やってくれるかなという不安がある(1)。
★親のほうが遠慮し、恐る恐る……といった感じになる(2)。
★拒否されるのがわかっているから、とても頼めない(3)。

Q5
休みの旅行の計画を話してみる。「家族でどこかへ行こうか」というような話でよい。
そのときあなたの子どもは…。
★ふつうの会話の一つとして、楽しそうに話に乗ってくる(0)。
★しぶしぶ話にのってくるといった雰囲気(1)。
★「行きたくない」と、たいてい拒否される(2)。
★家族旅行など、問題外といった雰囲気だ(3)。

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15〜12点…目下、断絶状態
11〜 9点…危険な状態
8〜 6点…平均的
5〜 0点…良好な関係
(はやし浩司 親子の断絶 断絶度テスト 断絶 自己診断)

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【NEさんへ2】

 子どもは、親のリズムに合わせることはできません。となると、親のあなたのほうが、子どものリズムに合わせるしかないのです。

 リズムがあっていない……、それが今、起こりつつあるいろいろな問題の原因です。だから一つの問題が解決しても、またつぎの問題が起きてきます。モグラたたきのモグラのようにです。

 ですからこの問題は、NEさんが、おっしゃっているように、「毎日イライラして怒るのかと思うとウンザリ。楽しい夏休みにしてあげたくて色々な予定を入れています。どうなるのでしょう・・・。不安です」という視点では、解決しないということです。

 解決しないどころか、やがてS君のほうが、あなたから去っていきますよ。あと数年くらいで……。が、それだけでは、収まらない。まさに親子断絶の、一歩手前です。

 (もう一人の子どものほうも、油断してはいけません。あなたとS君の関係を横で見ながら、あなたの知らないところで、別の心をつくりあげているはずです。あなたは自分では、もう一人とはうまくいっているはずと思っているかもしれませんが、それは疑ってみてください。)

 ですからアドバイスできることがあるとすれば、

(1)あきらめなさい。「うちの子は、まあ、こんなものよ」とあきらめなさい。
(2)くだらない親意識(悪玉親意識)など、もう捨てなさい。
(3)マイナス面ばかり見ないで、よい面を見たら、すかさず、ほめなさい。
(4)完ぺき主義を捨て、関心を、子どもから、ほかのことに向けなさい。

 チックが出てきたということは、かなり親子関係が、おかしくなっていることを示します。警戒信号ととらえてください。

 リズム論について、もう1作、ここに添付しておきます。繰りかえしになりますが、今のNEさんには、とても、重要なことです。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【子育てリズム論】
●子どもの心を大切に
子どものうしろを歩こう
 子育てはリズム。親子でそのリズムが合っていれば、それでよし。しかし親が四拍子で、子どもが三拍子では、リズムは合わない。いくら名曲でも、二つの曲を同時に演奏すれば、それは騒音でしかない。そこでテスト。

 あなたが子どもと通りをあるいている姿を、思い浮かべてみてほしい。そのとき、(1)あなたが、子どもの横か、うしろに立ってゆっくりと歩いていれば、よし。しかし(2)子どもの前に立って、子どもの手をぐいぐいと引きながら歩いているようであれば、要注意。

今は、小さな亀裂かもしれないが、やがて断絶…ということにもなりかねない。このタイプの親ほど、親意識が強い。「うちの子どものことは、私が一番よく知っている」と豪語する。

へたに子どもが口答えでもしようものなら、「何だ、親に向かって!」と、それを叱る。そしておけいこごとでも何でも、親が勝手に決める。やめるときも、親が勝手に決める。子どもは子どもで、親の前では従順に従う。そういう子どもを見ながら、「うちの子は、できのよい子」と錯覚する。が、仮面は仮面。長くは続かない。

 ところでアメリカでは、親子の間でも、こんな会話をする。

父「お前は、パパに何をしてほしいのか」
子「パパは、ぼくに何をしてほしいのか」と。

この段階で、互いにあいまいなことを言うのを許されない。それだけに、実際そのように聞かれると、聞かれたほうは、ハッとする。緊張する。それはあるが、しかし日本人よりは、ずっと相手の気持ちを確かめながら行動している。

 このリズムのこわいところは、子どもが乳幼児のときに始まり、おとなになるまで続くということ。その途中で変わるということは、まず、ない。ある女性(32歳)は、こう言った。

「今でも、実家の親を前にすると、緊張します」と。

別の男性(40歳)も、父親と同居しているが、親子の会話はほとんど、ない。どこかでそのリズムを変えなければならないが、リズムは、その人の人生観と深くからんでいるため、変えるのは容易ではない。しかし変えるなら、早いほうがよい。早ければ早いほどよい。

もしあなたが子どもの手を引きながら、子どもの前を歩いているようなら、今日からでも、子どもの歩調に合わせて、うしろを歩く。たったそれだけのことだが、あなたは子育てのリズムを変えることができる。いつかやがて、すばらしい親子関係を築くことができる。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【NEさんへ3】

 もう一つは、親意識です。NEさん自身も、かなり親意識の強い家庭で、生まれ育っている可能性が高いです。「親絶対教」の信者のような家庭です。

 くだらないから、本当にくだらないから、親意識(悪玉親意識)など、もう捨てなさい。親風を吹かして、子どもを自分の支配下で何とかしようなどとは、考えないこと。もっと肩の力を抜いて、子育てを楽しめばよいのです。

 こんな貴重ですばらしい時期は、もう2度とやってきませんよ。その時期を、NEさんは、ドタバタで、ムダにしている。私には、そんな気がします。

 何度も書いてきましたが、「親意識」の原稿も、添付しておきます。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【ああ親意識! されど親意識!】

●子どもの幸福に、嫉妬する親

 子どもの幸福に嫉妬する親は、少なくない。「親をさておいて、自分だけ、幸福になるとは、何ごとか」と。「親不孝者は、地獄へ落ちる」と、子どもを脅す親もいる。

 もともと精神的に未熟な、依存性の強い親とみる。そういった未熟性に、日本に古来から伝わる、独特の親意識が重なる。私が「悪玉親意識」と呼んでいるのが、それである。

 この嫉妬は、さまざまな形に、姿を変える。

 息子や娘に対して、攻撃的になる親。弱々しい親を演じ、同情を求める親。子どもにベタベタと依存しようとする親。そして子どもに対して、逆に服従的になり、言外に子どもに、「私(親)のめんどうをみろ」と迫る親、など。

 これらのパターンが、複合化して現れることもある。貧しいフリをして、息子の同情をかい、そういう方法で、いつも息子の財産(マネー)を、まきあげるなど。

 息子が、「母さん、生活はだいじょうぶか?」と、心配して電話をかけると、「心配しなくていいよ。冷蔵庫には、先日買った、魚の缶詰が、まだ残っているからね」と。

●「産んでやった」と言う母親。「産んでいただきました」と答える子ども

 依存性の強い母親は、いつもどこかで、恩着せがましい子育てをする。無意識のうちにというか、伝統的な子育て法を、そのまま踏襲する。

 このタイプの母親(父親も)は、子どもに対して、「産んでやった」「育ててやった」を、日常的に口にすることで、子どもを束縛しようとする。

 一方、子どもは子どもで、それに答えて、「産んでいただきました」「育てていただきました」と、言うようになる。

 相互にこうした依存関係ができたときには、親子関係も、それなりにうまくいく。たがいにベタベタの親子関係をつづけながら、親は息子(娘)を、「できのいい孝行息子(娘)」と思うようになる。息子(娘)は、「私の母親(父親)は、すばらしい人だ」と思うようになる。

 が、もともとそれを支える人間的基盤は、弱い。軟弱。わかりやすく言えば、たがいに自立できない人間どうしが、たがいになぐさめあって生きているにすぎない。ちょっとしたことで、この人間関係は、崩れやすい。

●親・絶対教

「親は絶対である」と、考える人は、多い。だれかが、ほんの少しだけ、その人の親を批判しただけで、「(オレの)親の悪口を言うヤツは許さない」と、絶叫してみせたりする。

 それがどこかカルト的であるから、私は「親・絶対教」と呼んでいる。

 カルトだから、理由など、ない。根拠もない。「偉いから、偉い」というような考え方をする。それに日本古来の先祖崇拝意識が重なることもある。

 このタイプの人に、そのカルト性を指摘しても、意味はない。反対に、「お前の考え方のほうがおかしい」と、排斥されてしまう。相手の意見を聞く耳すら、もたない。と、同時に、それがその人の人生観や哲学になっていることも多い。

 親・絶対教を否定するということは、その人の人生を否定することにもなる。だから、このタイプの人は、猛烈に反発する。

 「親の悪口を言うヤツは、許さない!」と。「お前ら、人間の道を踏みはずしている」と言った人もいる。

 あたかもそう叫ぶことが、子どもとしての努めであるというような、行動をとる。

●犠牲心

 こうした親・絶対教の信者に共通するのは、「子育ては、親の犠牲の上に成りたっている」という考え方である。「産んでやった」「育ててやった」という言い方は、そういうところから生まれる。

 さらにストレートに、「お前を大学へ出してやった」「高い月謝を払って、ピアノ教室へ通わせてやった」と言う親さえいる。

 そこで問題は、なぜ、こうした犠牲心が生まれるかということ。もう少し正確には、犠牲的子育て観が生れるかということ。

 本来、子どもというのは、一組の夫婦の愛の結晶として生れる。そしてその子どもが生れてきた以上、その子どもを育て、最終的には、その子どもを自立させるのは、親の義務である。

 義務だ!

 その義務を放棄して、「産んでやった」「育ててやった」と言う。つまり、ここに日本型の子育ての(おかしさ)が、集約されている。事実、英語には、そういう言い方、そのものがない。ないものは、ないのであって、どうしようも、ない。

●不幸な家族観

 日本独特の「家」制度は、同時に、個人の自立を、いつもどこかで犠牲にする。またその犠牲の上に、「家」制度が、成りたっている。

 このことは、その「家」の跡取りとなった、長男をみれば、わかる。今でも、この日本には、「長男だから……」「長女だから……」という、『ダカラ論』が、色濃く残っている。そのため、そのダカラ論にしばられ、悶々と過ごしている長男、長女は、いくらでもいる。

 こうした意識の背景にあるのは、親にしても、自分たちの愛の結晶としての子どもを産むというよりは、自分を離れた(他者)、つまり(家)のために、子どもを作るという意識である。

 「本当は、産みたくなかったが、家のためにしかたないから、産んだ」と。

 ここまで極端なケースは、少ないかもしれないが、まったくないわけではない。が、中には、不本意な結婚、不本意な出産をした人も多い。このタイプの人は、どうしても、ここでいう犠牲心をもちやすい。

 「私は子どものために、自分の人生をムダにしている」「したいことも、できず、犠牲になっている」と。

 その理由は、人それぞれ。しかし結果として、親は、心のどこかで犠牲心をもってしまう。そしてそれが、冒頭に書いた、嫉妬へと、いつしか変質する。

●父親の役割

 母子関係と、父子関係は、基本的には、同一ではない。それは母親は、子どもを妊娠し、出産し、そのあと、乳を与え、命をはぐくむという特殊性のちがいといってもよい。

 一方、父親と子どもの関係は、あくまでも(精液一しずくの関係)でしかない。

 そこでどうしても母子関係は、特殊なものになりやすい。が、特殊であることがまちがっているというのではない。たとえば人間が原点としてもつ基本的信頼関係は、良好な母子関係がってはじめて、はぐくまれる。

 この母子関係が不全になると、子どもは、生涯にわたって、その後遺症をひきずることになる。

 こうした特殊な母子関係を修正し、調整していくのが、父親の役割ということになる。放っておくと、母子関係は、ベタベタの関係になってしまう。子どもは、ひ弱で、自立できない人間になってしまう。

 父親は、そこで、子どもに狩のし方を教え、社会的ルールを教える。こうした操作を繰りかえしながら、子どもを、濃密な母子関係から切り離していく。

 この父親の役割があいまいになったとき、えてして母親は子どもを溺愛するようになる。それが相互依存関係をつくり、やがてベタベタの人間関係へと、発展していく。

●演歌歌手のK氏

 いつだったか、NHKのテレビ番組に、「母を語る」というのがあった。

 その中で、演歌歌手のK氏は、涙まじりに、こう語っていた。

 「私の母は、女手一つで、私を育ててくれました。私は、その恩に報いたくて、東京に出て、歌手になりました」と。

 K氏は、さかんに、「産んでいただきました」「育てていただきました」と言っていた。それはそれだが、私は最初、「Kさんの母親は、すばらしい母親だ」と思った。しかし5〜10分も見ていると、ふと、心のどこかで疑念がわいてくるのがわかった。

 「待てよ」と。

 「本当にK氏の母親は、すばらしい母親だったのか?」と。

 K氏は「すばらしい母親だ」と言っている。それはわかる。しかし、「産んでいただきました」「育てていただきました」と、思わせたのは、実は、母親自身ではなかったのか、と。

 心理学でいう、「家族自我群」による束縛で、K氏をしばりあげたのは、実は母親自身である、と。

 「女手ひとつ」だったということだから、苦労もあったのだろう。それはわかる。が、K氏の母親は、そうした恩を、K氏に日常的に着せることで、母親としての自分の役目を果たそうとした(?)。

 こうした例は、決して、珍しくない。日本人は、ごく当たり前のこととして、それを受けいれてしまっている。よい例が、窪田聡という人が作詞した、あの『かあさんの歌』である。

 あれほどまでに、お涙ちょうだい、恩着せがましい歌はないと、私は思うのだが、日本人は、こうした歌を、名曲として、受けいれてしまっている。

●家族自我群からの自立

 こうした問題を考えるとき、私たちは、どうしても親という立場だけで、ものを考えやすい。しかし本当の問題は、このあと、子どもの側に起きる。

 「産んでいただきました」「育てていただきました」と、子どもの側が、それなりに、親に呼応している間は、たがいの人間関係は、うまくいく。

 しかしその成長過程においても、子どもは、こうした家族自我群からの自立を目ざす。これを「個人化」という。

 よく誤解されるが、個人化は、家族の否定ではない。家族との調和をいう。

 が、この個人化が、うまく進まないときがある。親の溺愛にはじまって、過干渉、過関心、そして過保護など。親の否定的な育児姿勢が、個人化を阻害することもある。家庭崩壊、育児拒否、冷淡、無視、暴力、虐待なども、個人化を阻害する。

 この個人化が、うまく進まないとき、さまざまな弊害が起きる。

 その一つが「幻惑」(ボーエン)という現象である。

●幻惑

 本来、子どもが自立し始めたら、親は、自分自身も子離れを始めると同時に、子どももまたじょうずに、親離れできるように仕向けなければならない。

 子離れということは、子ども自身に親離れさせることを意味する。

 「あなたは、あなたよ。あなたの人生は一度しかないから、思う存分、この広い世界をはばたいてみなさい」と。

 子どもは、こうした親の姿勢を感じてはじめて、自分自身を自立させることができる。が、それがないと、子どもは、その「幻惑」に苦しむことになる。

 親離れすることを、罪悪と考えるようになり、家族自我群の束縛と、個人化のはざまで、悩み苦しむようになる。

 さらにその幻惑が進むと、自らにダメ人間というレッテルを張ってしまい、さらには、自己否定するようになってしまう。

 親自身が、息子や娘に、このレッテルを張ってしまうこともある。「このできそこない! 親不孝者め!」と。

●伝統的子育て観

 子育ては本能ではなく、学習によって、決まる。そういう意味でも、子育ては、代々と、親から子へと繰りかえされやすい。

 そこで日本型の子育ての特徴はといえば、常に子どもが、親、先祖、家に対して犠牲的になることを、美徳としてきたところにある。

 ある母親は、息子夫婦が海外へ赴任している間に、息子の財産(土地)を、勝手に売却してしまった。

 それについて息子が母親に抗議すると、その母親は、こう答えたという。

 「親が、先祖を守るために、息子の財産を使って、何が悪い!」と。

 こういうケースでは、親が口にする「先祖」というのは、「親」という自分自身のことをいう。まさか「親が、自分の息子の財産を使って、何が悪い!」とは言えない。だから「先祖」という言葉をもちだす。

 それはそれとして、こうした伝統的子育て観が一方にあって、親は、子どもに犠牲を強いるようになる。あるいはそれを強いながら、強いているという意識がないまま、強いる。

 こうして日本独特の子育て観は、代々と、親から子へと受け継がれる。今も、受け継がれている。

●親子の確執

 親子といえども、その関係は、一対一の人間関係で決まる。人間と人間の関係である。

 が、この親子関係が特殊性をおびるのは、ひとえに、文化でしかない。その文化が、親子関係を特殊なものにする。

 だからといって、それが悪いと言うのではない。人間生活そのものが、その「文化」の上に成りたっている。文化を否定すれば、人間は、原始の世界の動物に、逆戻りする。

 大切なことは、そういう人間関係に、どういう文化を乗せるかである。あるいはその基礎に、どういう文化を置くかである。

 その文化に、ズレが生じたとき、親子の間に緊張感が高まり、それが、確執へとつながっていく。しかも、親子であるがゆえに、その確執のミゾも深くなる。他人なら、たがいに、「はい、さようなら」と別れることができる。しかし親子では、それができない。できないから、もがき、苦しむ。

 たとえば、日本人の多くは、「産んでもらった」、だから、「親のめんどうをみるのが当然」という、相互依存関係をつくりやすい。

 しかしなぜそうなったかといえば、先に書いたように、そこには「家」制度がある。さらには、社会保障制度の不備もある。最近になって、老人介護という言葉が使われるようになったが、私が若いころには、そんな言葉すらなかった。

 子どもは親なしでは生きていかれない存在だが、老人もまた、子どもなしでは生きていかれない存在であった。が、問題は、さらにつづく。

●欧米の例

 オーストラリアでもアメリカでも、親が老後の苦労を、子どもにかけないという姿勢が、社会制度の中で定着している。またそういう社会的制度も、充実している。

 オーストラリアの南オーストラリア州でも、平均的なオーストラリア人は、つぎのような過程を経て、人生を終える。

 結婚→子育て→子どもの独立→老後は市内のアパート(自分の家)→老人ホーム→死去、と。

 日本の家族のように、複数世代が、同居するということは、まず、ない。興味深いのは、子どもが高校生くらいになると、親自身が、子どもの自立をうながすこと。同じ敷地の中に、バンガローを建てて、そこへ子どもを住まわせる親も、少なくない。

 こうして親は親で、死ぬまで、自分の生活と、その生活する場(人生)を確保する。こどものために自分の人生を犠牲にすることは、まず、ない。

 たとえば大学生にしても、親のスネをかじって大学へ通う子どもなど、さがさなければならないほど、少ない。たいていは奨学金を得たり、自ら借金をして通う。

 が、それでいて、人間関係が希薄かというと、そういうことはない。むしろいろいろな統計結果をみても、手をかけ、金をかける日本の親子関係より、濃密なばあいが多い。

●親自身の自立性 

 あなたと親の関係はともかくも、今度は、あなたと子どもの関係において、あなたという親は、いつも人間として自立することを念頭に置かねばならない。結局は、そこへすべての結論が、行きつく。

 親としてではなく、一人の人間として、どう生きるかという問題である。

 その(生きる)部分に、(親意識)を混在させてしまうと、人生そのものが、わけのわからないものになってしまう。よくある例が、自分の生きがいを、子どもに託してしまう親である。

 明けても暮れても、考えることは、子育てのことばかり。自分の人生のすべてを、子育てにかけてしまう。

 一度、こういう状態になると、そこから抜け出るのは、容易なことではない。それなりに親子関係が順調なときは、それほど問題にはならない。しかしひとたびそれが崩れると、自己犠牲心は、被害妄想に。愛情は、憎悪へと変身する。……しやすい。

 「親をさておいて、自分だけいい生活をしやがってエ!」と、息子に叫んだ母親がいた。
 「あんたは、だれのおかげで、日本語がしゃべれるようになったか、わかっているの!」と、娘に叫んだ母親もいた。

 息子が家を新築したことに対して、「親の家を改築するのが、先だろう」と怒った、母親すら、いた。

 ほかにも、息子が結婚して、郷里を離れたことについて、「悔しい」「悔しい」と泣き明かした母親もいる。「息子を、嫁に取られてしまった。息子なんて、育てるもんじゃない」と、会う人ごとにこぼしていた母親もいる。

 こうした親たちに共通する点はといえば、つまりは、自立できない、精神的に未完成な人間性である。

●では、どうするか?

 今まで、こうしたケースを、私はたくさん経験している。経験したというよりは、多くの相談を受けてきている。

 その結果というか、結論を先に言えば、こうした親たちを説得するのは、不可能ということ。先にも書いたように、カルト化している。さらにそういった生きザマ自体が、その人の人生観の骨格にもなっている。

 それを否定することは、その人自身の人生を否定することに等しい。だからそもそも、別の考え方を受けいれようとしない。

 で、こういうケースでは、あきらめて、納得し、その上で、妥協して生きるしかない。

 そして自分の問題としては、心理学でいう「幻惑」から、できるだけはやく自分を解放する。

 親が子どもに対して、冷たく「縁を切る」とか、それに類することを口にしたときには、それを悩むのではなく、「はい、そうですか」と割りきる。この割りきりが、あなた自身を幻惑から解放する。

 幻惑にとりつかれ、悶々と悩むということは、あなた自身が、すでに親がもつ親意識を、引き継いでいることを意味する。つまりあなた自身も、すでにマザコンであるということ。そのマザコン性に気がつくことである。

 なぜ幻惑に苦しむかといえば、自分自身の中のマザコン性を、処理できないためと考えてよい。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【NEさんへ4】

 あなたのお子さん、S君は、すばらしい子どもですよ。あなたに好かれようと、懸命に、がんばっているではありませんか。あなたには、それがわかりますか。

 「涙を流した後、『ごめんなさい』といってしまえば、次の行動では、けろっと忘れてまた同じことをします。甘えて手を握ってきたり、(私はこれが生理的に許せないのですが)、怒るのも許すのも、相性があるんだなと思います)という部分を、他人の目で、もう一度、読みなおしてみてください。

 生理的に許せないあなたのほうに、問題があるのですよ。わかりますか?

 もう一つアドバイスできることがあるとすれば、(わだかまり論)です。最後に、それを添付しておきます。参考にしてください。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●不安の原因は、わだかまり

 子育てをしていて、いつも同じパターンで、同じように失敗するというのであれば、あなた自身の中に潜む、「わだかまり」をさぐってみる。わだかまりは、あなたの心の奥に巣をつくり、あなたを裏から操る。

 わだかまりがあるということが悪いのではない。ほとんどの人は、何らかのわだかまりをもっている。わだかまりがあるということが悪いのではなく、その「ある」ことに気がつかないまま、それに振り回されるのが悪い。

 望まない結婚であった。望まない子どもであった。妊娠中に大きな不安があった。実家とうまくいっていない。不幸な家庭生活だった。生活苦がある。夫婦げんかが絶えない。夫婦関係がぎくしゃくしている、などなど。こうした「思い」が、わだかまりとなり、それが「子育ての不安」を増大させる。

 ある母親は、小学一年生の男の子を、「イヤーッ!」と叫んで、手で払いのけていた。長い間、その理由がわからなかったが、いろいろ振り返ってみると、望まない結婚が原因だったということがわかった。

 現在の夫(子どもの父親)は、その母親に対して、結婚前、執拗なストーカー行為を繰り返していた。が、その母親は心のやさしい人だった。「実家に迷惑がかかってはいけない」「私ひとりががまんすれば何とかなる」と考えて、その男と結婚した。が、そんな結婚だから、最初からうまくいくはずがない。殺伐(さつばつ)とした結婚生活がつづいた。そこでその母親は、「子はかすがいという。子どもをつくれば何とか、うまくいくだろう」と考えて、その男の子をもうけた。子どもが「ママ!」とすりよってくるたびに、その母親は、無意識のまま、その男の子を払いのけていたというわけである。

 こうしたわだかまりは、それに気がつくだけで、消えることはないが、おとなしくさせることはできる。そのあと少し時間はかかるが、やがて問題も解決する。そこで大切なことは、冒頭に書いたように、いつも同じようなパターンで、同じように失敗するというのであれば、このわだかまりを疑ってみる。何かあるはずである。
(はやし浩司 親子の確執 親子問題 ギクシャクする親子 子供への接し方)






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