地球
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地球


自然論

 フランシス・ベーコン(1561−1626、イギリスの哲学者)は、「ノーヴェム・オルガヌム」の中で、こう書いている。「まず、自然に従え。そして自然を征服せよ」と。このベーコンの自然論の基本は、人間と自然を、相対した関係に置いているというところ、つまり人間がその意識の中で、自然とは別の存在であると位置づけているところにある。

それまでのイギリスは、ある意味で自然に翻弄されつづけていたとも言える。つまりベーコンは、人間の意識を自然から乖離(かいり)させることこそが、人間の意識の確立と考えた※。この考えは、その後多くの自然科学者に支持され、そしてそれはその後さらに、イギリスの海洋冒険主義、植民地政策、さらには1740年ごろから始まった産業革命の原動力となっていった。

 一方、ドイツはまったく別の道を歩んだ。ベーコンの死後から約100年後に生まれたゲーテ(1749−1832)ですら、こう書き残している。「自然は絶えずわれわれと語るが、その秘密を打ち明けはしない。われわれは常に自然に働きかけ、しかもそれを支配する、何の力ももっていない」(「自然に関する断片」)と。さらにこうも言っている。「神と自然から離れて行動することは困難であり、危険でもある。なぜなら、われわれは自然をとおしてのみ、神を意識するからである」(「シュトラースヴェルグ時代の感想」)と。

ここでゲーテがいう「神」とは、まさに「自己の魂との対面」そのものと考えてよい。つまり自己の魂と対面するにしても、自然から離れてはありえないと。こうしたイギリスとドイツの違いは、海洋民族と農耕民族の違いに求めることもできる。海洋民族にとって自然は、常に脅威であり、農耕民族にとっては自然は、常に感嘆でしかない。海洋民族にとっては自然は、常に戦うべき相手であり、農耕民族にとっては自然は、常に受け入れるべき相手でしかない。が、問題は、イギリスでも、ドイツでもない。私たち日本人はどうだったかということ。

 日本人は元来農耕民族である。ドイツと違う点があるとするなら、日本は徳川時代という、世界の歴史の中でも類をみないほどの暗黒かつ恐怖政治を体験したということ。そのためその民族は、限りなく従順化された。日本人独特の隷属的な相互依存性はこうして説明されるが、それに反してイギリス人は、人間と自然を分離し、人間が自然にアクティブに挑戦していくことを善とした。ドイツ人はしかし自然を受け入れ、やがてやってくる産業革命の息吹をどこかで感じながらも、自然との同居をめざした。

ドイツ人が「自然主義」を口にするとき、それは、自然への畏敬の念を意味する。「自然にあるすべてのものは法とともに行動する」「大自然の秩序は宇宙の建築家の存在を立証する」(「断片」)と書いたカント(1724−1804)に、その一例を見ることができる。一方、日本人は、自然を従うべき相手として、自らを自然の中に組み入れてしまった。その考えを象徴するのが、長岡半太郎(1865−1950)である。物理学者の彼ですら、こんな随筆を残している。「自然に人情は露ほども無い。之に抗するものは、容赦なく蹴飛ばされる。之に順ふものは、恩恵に浴する」と。

日本人は自然の僕(しもべ)になることによって、自然をその中に受け入れるというきわめてパッシブな方法を選んだ。が、この自然観は、戦後、アメリカ式の民主主義が導入されると同時に、大きく変貌することになる。その象徴的なできごとが、田中角栄元首相(1972年・自民党総裁に就任)の「日本列島改造論」(都市政策大綱、新全総、国土庁の設置、さらには新全総総点検作業を含む)である。

 田中角栄氏の無鉄砲とも思える、短絡的な国家主義が、当時の日本に受け入れられたのは、「展望」をなくした日本人の拝金思想があったことは、だれも疑いようがない。しかしこれは同時に、イギリスからアメリカを経て日本に導入されたベーコンイズムの始まりでもあった。日本人は自らを自然と分離することによって、その改造論を正当化した。それはまさに欧米ではすでに禁句となりつつあった、ハーヴェィズム(「文明とは、要するに自然に対する一連の勝利のことである」とハーヴェィ※2は説いた)の再来といってもよい。

 日本人の自然破壊は、これまた世界の歴史でも類をみないほど、容赦ないものであった。それはちょうどそれまでに鬱積していた不満が、一挙に爆発したかのようにみえる。だれもが競って、野や山を削ってそれをコンクリートのかたまりに変えた。たとえば埼玉県のばあい、昭和三五年からの四〇年間だけでも、約二九万ヘクタールから、約二一万ヘクタールへと、森林や農地の約三〇%が消失している※3。

 田中角栄氏が首相に就任した1972年以来、さらにそれが加速された。(イギリスにおいても、ベーコンの時代に深刻な森林の減少を経験している。)そこで台頭したのが、自然調和論であるが、この調和論とて、ベーコンイズムの変形でしかない。基本的には、人間と自然を対照的な存在としてとらえている点では、何ら変わりない。そこで私たちがめざすべきは、調和論ではなく、ベーコンイズムの放棄である。そして人間を自然の一部として再認識することである。私が好きな一節にこんなのがある。ファーブルの「昆虫記」の中の文章である。

「人間というものは、進歩に進歩を重ねたあげくの果てに、文明と名づけられるものの行き過ぎによって自滅して、つぶれてしまう日がくるように思われる」と。

ファーブルはまさにベーコンイズムの限界、もっと言えばベーコン流の文明論の限界を指摘したともいえる。言い換えると、ベーコンイズムの放棄は、結局は自然救済につながり、かつ人間救済につながる。人間は自然と調和するのではない。人間は自然と融和する。そして融和することによってのみ、自らの存在を確立できる。自然であることの不完全、自然であることの不便さ、自然であることの不都合を受け入れる。そして人間自身もまた、自然の一部であることを認識する。たとえば野原に道を一本通すにしても、そこに住む生きとし生きるすべての動植物の許可をもってする。そういう姿勢があってこそ、人間は、この地球という大自然の中で生き延びることができる。
 
※……ベーコンは「知識は力である」という有名な言葉を残している。「ベーコンは、ルネッサンス以来、革新的な試行に哲学的根拠を与えた人物としても知られ、『自然科学の主目的は、人生を豊かにすることにある』とし、その目標を『自然を制御し、操作すること』においた。この哲学が、自然科学のイメージを高め、将来における科学の応用、さらには技術や工学の可能性を探求するための哲学的根拠となった」(金沢工業大学蔵書目録解説より)。

※2……ウィリアム・ハーヴェイ(1578−1657)、医学会のコペルニクスとも言われる人物。彼は「自然の支配者であり、所有者としての役割は、人類に捧げられたものである」と説いた。

※3……埼玉県の「森林および農地」は、昭和35年に296・224ヘクタールであったが、平成11年現在は、211・568ヘクタールになっている(「彩の国豊かな自然環境づくり計画基礎調査解説書」平成九年度版)。

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上の原稿を、もう少しわかりやすく書いたのが
つぎの原稿です。新聞で発表するつもりでしたが
編集者の意向で、ボツになった原稿です。どうして
ボツになったか、わかりますか?

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ゆがんだ自然観

 もう二〇年以上も前のことだが、こんな詩を書いた女の子がいた(大阪市在住)。「夜空の星は気持ち悪い。ジンマシンのよう。小石の見える川は気持ち悪い。ジンマシンのよう」と。この詩はあちこちで話題になったが、基本的には、この「状態」は今も続いている。小さな虫を見ただけで、ほとんどの子どもは逃げ回る。落ち葉をゴミと考えている子どもも多い。自然教育が声高に叫ばれてはいるが、どうもそれが子どもたちの世界までそれが入ってこない。

 「自然征服論」を説いたのは、フランシスコ・ベーコンである。それまでのイギリスや世界は、人間世界と自然を分離して考えることはなかった。人間もあくまでも自然の一部に過ぎなかった。が、ベーコン以来、人間は自らを自然と分離した。分離して、「自然は征服されるもの」(ベーコン)と考えるようになった。それがイギリスの海洋冒険主義、植民地政策、さらには一七四〇年に始まった産業革命の原動力となっていった。

 日本も戦前までは、人間と自然を分離して考える人は少なかった。あの長岡半太郎ですら、「(自然に)抗するものは、容赦なく蹴飛ばされる」(随筆)と書いている。が、戦後、アメリカ型社会の到来とともに、アメリカに伝わったベーコン流のものの考え方が、日本を支配した。その顕著な例が、田中角栄氏の「列島改造論」である。日本の自然はどんどん破壊された。埼玉県では、この四〇年間だけでも、三〇%弱の森林や農地が失われている。

 自然教育を口にすることは簡単だが、その前に私たちがすべきことは、人間と自然を分けて考えるベーコン流のものの考え方の放棄である。もっと言えば、人間も自然の一部でしかないという事実の再認識である。さらにもっと言えば、山の中に道路を一本通すにしても、そこに住む動物や植物の了解を求めてからする……というのは無理としても、そういう謙虚さをもつことである。少なくとも森の中の高速道路を走りながら、「ああ、緑は気持ちいいわね。自然を大切にしましょうね」は、ない。そういう人間の身勝手さは、もう許されない。

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 「自然教育」と簡単に言うが、おとなの私たちがさんざん好き勝手なことをしておきながら、子どもに向かって、「自然を大切にしましょう」は、ない。それこそおとなの身勝手というもの。しかし実際には、いろいろな問題がある。

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●自然への雑感

 私の自宅の前は、小さな森になっている。古くからある、このあたりの大地主の墓地にもなっている。私はここに住んで、もう二六年になるが、住み始めたころは、そうではなかった。小さな木がまばらに生えている程度だった。が、この二六年間で、すっかり様子が変わった。

 私は庭で、畑も、花壇もつくっていた。庭一面には、芝生も植えていた。しかし最初に、畑が全滅。つぎに花壇も全滅。七、八年前には、芝生も枯れはてた。墓地の木々が大きくなり、やがて巨木になり、日陰が、私の庭全体をおおうようになった。

 で、地主にあれこれ相談した。が、地主が東京に住んでいることもあり、なかなかことが、はかどらなかった。が、いよいよ大木の枝が、私の庭のほうまで容赦なく入り込んでくるようになった。そこで木を伐採してもらうことにした。

 そのときだ。他人の土地の森とはいえ、この二六年間、なれ親しんだ森である。枝を切ってもらうにしても、どこか抵抗があった。もちろん切ったのは、業者だが、それでも抵抗があった。畑も花壇もつぶれたが、しかし本当のところ、私は緑が嫌いではない。居間から見ると、窓全体に、墓地の緑が飛びこんでくる。いつだったか、F市の友人が私の家に遊びに来たとき、「どこかの別荘地みたいですね」と言ったのを覚えている。私はそれを聞いて、うれしかった。

 が、家の周囲の木は、切ってもらった。バッサ、バッサと。おかげで少しは明るくなったが、さっそく近所の人が何人かやってきて、こう言った。「よく、今まで、がまんしましたね」と。それを聞いて私は、「緑に対する考え方も、人によって違うのだな」と思った。都会地域では、緑を嫌う人も、少なくない。「ゴミ(葉のこと)が出る」「枯れ葉が家のトイをつまらせる」「日陰になる」とか。私自身は、葉や枯れ葉がゴミだと思ったことは一度もないのだが……。

 緑を守ることだけが、自然を守ることではない。ほかにもいろいろ方法はある。しかし木を育てるというのは、たいへんわかりやすい。少なくとも、私はずっと、そう考えてきた。実のところ、その墓地の森に、いろいろな木をこっそりと植えてきたのは、この私だ。しかしこのところ、つまり、とくに周囲の木を切ってもらってから、少し考え方が変わってきた。自然を守るということは、そういうことではないのではないか、と。たとえて言うなら、ペットの動物を飼ったり、家畜の動物を育てているからといって、動物を愛護していることにはならない。同じように、自分の目を楽しませるために、木を、家のまわりに植えたからといって、自然を保護したことにはならない?

 自然保護というのは、もっとシビアなもの。私のばあい、あくまでも結果論だが、この三〇年以上、自転車通勤していることが、それではないか。最初は、自然保護などということは、みじんも考えていなかった。あくまでも健康のためだった。しかしあるときから、自然保護を意識するようになった。「私はみんなより、空気を汚していないぞ」という思いをもつようになった。それはある種の優越感だった。たとえば自転車に乗っていて、バリバリと音をたてながら、猛スピードで通りすぎる車を見たりすると、その運転手が、どこかアホ(失礼!)に見えた。(多分、相手は、自転車に乗っている私を、アホに思っているだろうが……。)

 つまり自然保護というのは、意識の問題であって、行動の問題ではない。意識があれば、行動は、あとからついてくる。何となく、意味のないことを、回りくどく書いているような気分になったので、この話はここでやめるが、要するに、自然保護というのは、そんな甘いものではないということ。私が墓地の森に木を植えたような行為くらいでは、自然保護にはならないということ。そういうこと。……ということで、この話は、ここまでにしておく。
(03−1−26)

●自然の自然は自然なり。自然主義者の自然は不自然なり。(内村鑑三「聖書之研究」)




【自然教育について】

●台風4号

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明日になると、もっとはっきりする
と思うが、今回の台風4号は、
九州地方に、かなりの被害を
もたらしたようだ。

河川の氾濫、土砂崩れ、など。

しかし以前は、河川の氾濫に
しても、その氾濫を防ぐために
はどうすればよいかということが
治水事業の柱になっていた。

が、今は、ちがう。「河川は
氾濫するもの」という前提で、
治水事業が考えられるように
なった。

わかりやすく言えば、それほど
被害がないと考えられるところで、
河川をわざと氾濫させることによって、
人口密集地や、住宅地への被害を
最小限におさえようという方法で
ある。

今までの治水方法では、あまりに
お金がかかりすぎた。それでそういう
考え方に変わってきたらしい。

国土交通省が導入しようとしている、
「洪水氾濫域減災対策制度」(仮称)
というのが、それである。

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 私の息子夫婦は、アメリカのアーカンソー州という州に住んでいる。テキサス州の上、アメリカ
南部の州である。

 そのアーカンソー州の東側を、たてに、あのミズーリー川が流れている。長大というよりも、広
大な川である。

 この川が、数年おきに、氾濫する。ああいう国だから、ふつうの氾濫ではない。幅何10キロ
(あるいはそれ以上)に渡って、氾濫する。

 しかし治水事業というか、堤防づくりは、ほとんどしていない。それについて、たまたま私がア
メリカにいたとき、こんな住民投票の結果が、テレビで報道されていた。

 住民たちは、堤防づくりに反対しているというのだ。理由は、「お金がかかる」「そのために税
金がふえるのはいや」「そのかわり、氾濫で被害を受けたばあいには、補償金を支給してくれ
ればいい」と。

 何とも合理的な考え方ではないか。またこんな意見もあった。「人工の堤防をつくれば、自然
の景観を台無しにする」と。

 日本でも、河川の氾濫について、このところものの考え方が、少しずつだが、変わってきた。
以前はというと、河川の氾濫にしても、その氾濫を防ぐためにはどうすればよいかということが
治水事業の柱になっていた。

が、今は、ちがう。「河川は氾濫するもの」という前提で、治水事業が考えられるようになった。

わかりやすく言えば、それほど被害がないと考えられるところで、河川をわざと氾濫させること
によって、人口密集地や、住宅地への被害を最小限におさえようという方法である。

今までの治水方法では、あまりにお金がかかりすぎた。それでそういう考え方に変わってきた
らしい。

 といっても、わざと氾濫させてそのままというわけではない。道路や線路を高くもりあげて、堤
防のかわりにするということらしい。これを行政用語で、「控え堤」とか、「二番堤」とかいう。氾
濫した水を、こうした控え堤や二番堤をうまくつかって、別の場所に誘導する。最終的には、海
へ流す。

 まさに知恵比べということになるが、その効あってか、これほどまでに大きな台風がきても、
日本では、目だった被害はあまり起きない。少なくとも、どこかのあの国とはちがう。あの国で
は、少し長雨がつづいただけで、壊滅的な被害を受ける。

 核兵器ばかり作っていないで、少しは、別のところにも頭を使ったらよい。……というのは、お
まけ。私の意見のおまけ。


●自然教育

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ミズーリー川の話を書いたので、
ついでに自然教育について。

題して、「はやし浩司の自然教育」。

参考までに!

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【自然教育について】

 「自然を大切にしましょう」「自然はすばらしい」という意見を聞くたびに、私は「日本人は、どう
してこうまでオメデタイのだろう」「どうしてこうまで井の中の蛙(かわず)で、世間(=世界)知ら
ずなのだろう」と思ってしまう。

 外国を歩いてみると、彼らの自然観は、日本人と180度違うのがわかる。日本以外のほとん
どの国では、自然は人間に害を与える、戦うべき相手なのだ。ブラジルでもそうだ。

彼らはあのジャングルを「愛すべき自然」とはとらえていない。彼らにすれば、自然は、「脅威」
であり、「敵」なのだ。このことはアラブの砂漠の国へ行くと、もっとはっきりする。そういう国で、
「自然を大切にしましょう」「自然はすばらしい」などと言おうものなら、「お前、アホか?」と言っ
て笑われる。

 日本という国の中では、自然はいつも恵みを与えてくれる存在でしかない。そういう意味で、
たしかに恵まれた国だと言ってもよい。しかしそういう価値観を、世界の人に押しつけてはいけ
ない。そこで発想を変える。

 オーストラリアの学校には、「環境保護」という科目がある。もう少しグローバルな視点から、
地球の環境を考えようという科目である。そして一方、「キャンピング」という科目もある。

私がある中学校(メルボルン市ウェズリー中学校)に、「その科目は必須(コンパルサリー)科
目ですか」と電話で問いあわせると、「そうです」という返事がかえってきた。このキャンピングと
いう科目を通して、オーストラリアの子どもは、原野の中で生き抜く術(すべ)を学ぶ。ここでも、
「自然は戦うべき相手」という発想が、その原点にある。

 もちろんだからといって、私は「自然を大切にしなくてもいい」と言っているのではない。しかし
こういうことは言える。

だいたい「自然保護」を声高に言う人というのは、都会の人だということ。自分たちでさんざん
自然を破壊しておきながら、他人に向かって、「大切にしましょう」は、ない。破壊しないまでも、
破壊した状態の中で、便利な生活(?)をさんざん楽しんでいる。

こういう身勝手さは、田舎に住んで、田舎人の視点から見るとわかる。ときどき郊外で、家庭菜
園をしたり、植樹のまねごとをする程度で、「自然を守っています」などとは言ってほしくない。そ
ういう言い方は、本当に、田舎の人を怒らせる。

そうそう本当に自然を大切にしたいのなら、多少の洪水があったくらいで、川の護岸工事など
しないことだ。自然を守るということは、自然をあるがまま受け入れること。それをしないで、
「何が、自然を守る」だ!

 自然を大切にするということは、人間自身も、自然の一部であることを認識することだ。この
ことについては、書くと長くなるので、ここまでにしておくが、自然を守るということは、もっと別の
視点から考えるべきことなのである。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●自然教育について(2)

 世界の中でも、たまたま日本が、緑豊かな国なのは、日本人がそれだけ自然を愛しているか
らではない。日本人がそれを守ったからでもない。浜松市の駅前に、Aタワーと呼ばれる高層
ビルがある。ためしにあのビルに、のぼってみるとよい。40数階の展望台から見ると、眼下に
浜松市が一望できる。

が、皮肉なことに、そこから見る浜松市は、まるでゴミの山。あそこから浜松市を見て、浜松市
が美しい町だと思う人は、まずいない。

 このことは、東京、大阪、名古屋についても言える。ほうっておいても緑だけは育つという国
であるために、かろうじて緑があるだけ。「緑の破壊力」ということだけを考えるなら、日本人が
もつ破壊力は、恐らく世界一ではないのか。今では山の中の山道ですら、コンクリートで舗装
し、ブロックで、カベを塗り固めている。そういう現実を一方で放置しておいて、「何が、自然教
育だ」ということになる。

 私たちの自然教育が自然教育であるためには、一方で、日本がかかえる構造的な問題、さ
らには日本人の思考回路そのものと戦わねばならない。

構造的な問題というのは、市の土木予算が、20〜30%(浜松市の土木建設費)もあるという
こと。日本人の思考回路というのは、コンクリートで塗り固めることが、「発展」と思い込んでい
る誤解をいう。

たとえばアメリカのミーズリー川は、何年かに一度は、大洪水を起こして周辺の家屋を押し流し
ている。2000年※の夏にも大洪水を起こした。

しかし当の住人たちは、護岸工事に反対している。理由の第一は、「自然の景観を破壊する」
である。そして行政当局も、護岸工事にお金をかけるよりも、そのつど被害を受けた家に補償
したほうが安いと計算して、工事をしないでいる。今、日本人に求められているのは、そういう
発想である。

 もし自然教育を望むなら、あなたも明日から、車に乗ることをやめ、自転車に乗ることだ。ク
ーラーをとめ、扇風機で体を冷やすことだ。そして土日は、山の中をゴミを拾って歩くことだ。少
なくとも「教育」で、子どもだけを作り変えようという発想は、あまりにもおとなたちの身勝手とい
うもの。そういう発想では、もう子どもたちを指導することはできない。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●自然教育について(3)

 5月の一時期、野生のジャスミンが咲き誇る。甘い匂いだ。それが終わると野イチゴの季節。
そしてやがて空をホトトギスが飛ぶようになる……。

 浜松市内と引佐町T村での二重生活をするようになって、もう六年になる。週日は市内で仕
事をして、週末はT村ですごす。距離にして車で40分足らずのところだが、この2つの生活は
まるで違う。

市内での生活は便利であることが、当たり前。T村での生活は不便であることが、当たり前。大
雨が降るたびに、水は止まる。冬の渇水期には、もちろん水はかれる。カミナリが落ちるたび
に停電。先日は電柱の分電器の中にアリが巣を作って、それで停電した。道路舗装も浄化槽
の清掃も、自分でする。

こう書くと「田舎生活はたいへんだ」と思う人がいるかもしれない。しかし実際には、T村での生
活の方が楽しい。T村での生活には、いつも「生きている」という実感がともなう。庭に出したベ
ンチにすわって、「テッペンカケタカ」と鳴きながら飛ぶホトトギスを見ていると、生きている喜び
さえ覚える。

 で、私の場合、どうしてこうまで田舎志向型の人間になってしまったかということ。いや、都会
生活はどうにもこうにも、肌に合わない。数時間、街の雑踏の中を歩いただけで、頭が痛くな
る。疲れる。排気ガスに、けばけばしい看板。それに食堂街の悪臭など。

いろいろあるが、ともかくも肌に合わない。田舎生活を始めて、その傾向はさらに強くなった。
女房は「あなたも歳よ…」というが、どうもそれだけではないようだ。私は今、自分の「原点」にも
どりつつあるように思う。私は子どものころ、岐阜の山奥で、いつも日が暮れるまで遊んだ。魚
をとった。そういう自分に、だ。

 で、今、自然教育という言葉がよく使われる。しかし数百人単位で、ゾロゾロと山間にある合
宿センターにきても、私は自然教育にはならないと思う。かえってそういう体験を嫌う子どもす
ら出てくる。自然教育が自然教育であるためには、子どもの中に「原点」を養わねばならない。
数日間、あるいはそれ以上の間、人の気配を感じない世界で、のんびりと暮らす。好き勝手な
ことをしながら、自活する。そういう体験が体の中に染み込んではじめて、原点となる。

 ……私はヒグラシの声が大好きだ。カナカナカナという鳴き声を聞いていると、眠るのも惜しく
なる。今夜もその声が、近くの森の中を、静かに流れている。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●ゆがんだ自然観

 もう30年以上も前のことだが、こんな詩を書いた女の子がいた(大阪市在住)。

「夜空の星は気持ち悪い。ジンマシンのよう。小石の見える川は気持ち悪い。ジンマシンのよ
う」と。

この詩はあちこちで話題になったが、基本的には、この「状態」は今も続いている。小さな虫を
見ただけで、ほとんどの子どもは逃げ回る。落ち葉をゴミと考えている子どもも多い。自然教育
が声高に叫ばれてはいるが、どうもそれが子どもたちの世界までそれが入ってこない。

 「自然征服論」を説いたのは、フランシスコ・ベーコンである。それまでのイギリスや世界は、
人間世界と自然を分離して考えることはなかった。人間もあくまでも自然の一部に過ぎなかっ
た。が、ベーコン以来、人間は自らを自然と分離した。分離して、「自然は征服されるもの」(ベ
ーコン)と考えるようになった。それがイギリスの海洋冒険主義、植民地政策、さらには1740
年に始まった産業革命の原動力となっていった。

 日本も戦前までは、人間と自然を分離して考える人は少なかった。あの長岡半太郎ですら、
「(自然に)抗するものは、容赦なく蹴飛ばされる」(随筆)と書いている。が、戦後、アメリカ型社
会の到来とともに、アメリカに伝わったベーコン流のものの考え方が、日本を支配した。

その顕著な例が、田中角栄氏の「列島改造論」である。日本の自然はどんどん破壊された。埼
玉県では、この40年間だけでも、30%弱の森林や農地が失われている。

 自然教育を口にすることは簡単だが、その前に私たちがすべきことは、人間と自然を分けて
考えるベーコン流のものの考え方の放棄である。もっと言えば、人間も自然の一部でしかない
という事実の再認識である。

さらにもっと言えば、山の中に道路を一本通すにしても、そこに住む動物や植物の了解を求め
てからする……というのは無理としても、そういう謙虚さをもつことである。少なくとも森の中の
高速道路を走りながら、「ああ、緑は気持ちいいわね。自然を大切にしましょうね」は、ない。そ
ういう人間の身勝手さは、もう許されない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 自然
教育 自然論 子供の自然教育)


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