教育・子育てのこと
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家族

【今、学校では……】(再録版)

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先日、市内のS小学校で
講演をさせてもらった。

そのときその学校の校長と、
習熟度別クラスが話題に
なった。

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●習熟度別クラス

 習熟度というほど、おおげさではないが、子どもの能力と、やる気に合わせて、クラスを分け
て授業を進めるという方法が、この浜松市でも、あちこちの小学校で採用されている。

 現在は、まだ、試行錯誤の段階で、そうした授業を、親たちに参観させながら、そのあとアン
ケート調査をするところも多い。

 で、一応、親たちは、それを、「習熟度別授業」と、理解している。

 従来(2〜3年前から)は、小学3〜4年生クラスにおいて、実験的に、特定の教科について、
こうしたクラス分けがなされていた。たとえば理科の実験などでは、人数を減らして、マンツーマ
ンで教えるなど。

 ほかに小学1年生については、国語の学習で、とくに遅れが目立つ子どもについてなどは、
個人レッスンの形で、やはりクラス分けがなされていた。これを「個別指導」というが、時間的
は、それほど、長いものではない。平均して、20〜30分程度である。

 しかしこれは習熟度別というのではなく、ここにも書いたように、個人レッスン的な色彩が濃い
ものであった。こうした授業形態を、「小(こ)人数クラス」と呼び、「少人数クラス」とは、区別し
ていた。

 こうした授業に対して、浜松市内の大規模校を中心に、(1)テストの結果などを参考に、(2)
日ごろの観察、(3)子どもの自主性、(4)親の希望を取り入れて、習熟度別授業をもつところ
が、ふえてきた。

 「まだ、(本格的に)、しているところと、していないところがある」(某小学校教頭談)とのこと。

 こうした習熟度別授業は、(1)固定化しているわけではなく、そのつど、流動的に生徒が、そ
れぞれのクラスを移動する。(2)クラス分けは、均等分けするときもあるし、そうでないときもあ
る。たとえば2クラスを、3クラスに分けて授業をするときは、均等分けにしたりする。

 実験的な措置として、特定の学校のみに、1人、余分な教師が派遣されることもある。(大規
模校には、2人)。そういう教師を利用して、2クラスを3クラスに分けるときもある。

科目によっては、とくに算数などの差のつきやすい科目については、Aクラス(レベル高)を、1
0〜20%前後、Cクラス(レベル低)を、10〜20%前後にし、中位のBクラス(レベル中)のそ
のほかの生徒を置くということがなされている。

クラス名は、「上下意識」を感じさせないように、「木の実クラス」「さくらクラス」「かもめクラス」と
いうようなネーミングをつけるところが多い。が、こうした授業が、教師に与える負担も、相当な
ものである。

 これについて、以前、つぎのような原稿を書いたので、再掲載する。

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●忙しくなる、教師の世界

 私たちが中学生や高校生のころには、先生には、「空き時間」というものがあった。たいて
い、1時間教えると、つぎの1時間は、その空き時間だった。

 その空き時間の間に、先生たちは、休息したり、本を読んだり、生徒の作品を評価したり、教
材を用意したりしていた。

 しかし今は、それが、すっかり、様(さま)変わりした。

 このあたりの小学校でも、その「空き時間」が、平均して、1週間に、1〜2時間になってしまっ
たという(某、小学校校長談)。(学校によっては、1週間に、平均して3時間程度というところも
ある。文科省の指導に従えば、週1時間程度になるが、学校ごとに、やりくりをして、3時間程
度を確保している。なお、中学校では、平均して7〜8時間程度の、空き時間がある。浜松市
内)

 だから今では、平日、学校の職員室を訪れても、ガランとしている。先生の姿を見ることは、
めったにない、

 「いわゆる企業や工場の経営論理が、学校現場にも及んでいるのですね。少人数による、習
熟度別指導をする。2クラスを3人の先生で教える(2C3T方式)、さらには1クラスを、2人の
先生で教える(TT方式)が、一般化し、先生が、それだけ足りなくなったためです」と。

 この結果、再び、詰めこみ教育が復活してきた。先生たちは、プロセスよりも、結果だけを追
い求めるようになってきた。が、問題は、それだけではない。

 余裕がなくなった職場からは、先生どうしの交流も消え、そのため、「精神を病む教師が続出
している」(同)という。とくに忙しいのは、教頭で、朝7時前からの出勤はあたりまえ。さらにこ
のところの市町村合併のあおりを受けて、制度や、組織、組織の定款改革などで、自宅へ帰る
のは、毎晩、7時、8時だという。

 何でもかんでも、学校で……という、親の安易な姿勢が、今、学校の先生たちを、ここまで追
いこんでいるとみてよい。教育はもちろん、しつけから、家庭指導まで……。たった1〜2人の
自分の子どもでさえ、もてあましている親が、20〜30人も、1人の先生に押しつけて、「何とか
しろ!」はない。

 さらに一言。

 1995年前後を底に、学習塾数、塾講師数ともに減少しつづけてきたが、それがここ2000
年を境に、再び、上昇する傾向を見せ始めている(通産省・農林通産省調べ)。進学競争が、
激化する様相さえ見せ始めている。

 私の周辺でも、子どもの進学問題が、数年前より、騒がしくなってきたように感ずる。さて、み
なさんの周辺では、どうであろうか?
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司  空き
時間 2C3T 習熟度別指導 TT 指導システム 激化する進学熱 進学指導 詰め込み教
育)

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 今後は、こうした習熟度別教室は、一部の抵抗もあるだろうが、学校内で定着していくものと
思われる。実際には、当初は、どこか遠慮がちに始まった習熟度別授業だったが、市内の小
学校を中心に、新たな単元が始まるたびに、簡単なテストをして、そのあと、クラス分けをする
ところがふえてきた。

 もちろん、問題点がないわけではない。

 教師の負担もさることながら、こうした習熟度別授業は、親たちに、少なからず、ショックを与
えている。たとえば習熟度別授業を参観してきた、ある母親は、こう言っている。学校の帰り
道、親たちはみな、進学塾はどうしようと、そんな話ばかりしていました、と。

こうした習熟度別授業は、平等主義を貫いてきた学校教育に、大きな変化をもたらすことはも
ちろんのこと、子どもたちの間で、差別化を生む可能性もある。それをどう克服していくか、こ
れからの大きな課題になるものと思われる。


●過酷な職場

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学校の先生たちが、悲鳴をあげている。
あなたには、その悲鳴が聞こえるだろうか?

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 教育は、重労働である。とくに、小学校教育は、そうである。

 たとえば水泳指導したあと、生徒たちといっしょに着替え、つぎの時間には、クラスで算数を
教えなければならない。

 そのためかなりの体力と気力を、必要とする。

 で、現実問題として、この浜松市でも、55歳をすぎて教師をしている、女性教師は、ほとんど
いない。女性教師のばあい、たいていの教師は、50歳前後に退職していく。「水泳指導ができ
なくなったら、教師はやめる」というのが、一つの目安になっているという。

 学校の教師のばあい、50歳少し前に、管理職に向うかどうかが、決まる。管理職になれば、
学級担任からはずされるが、それは校長と教頭、教務主任のほか、あと1名程度。そこでもっ
と、女性教師を管理職に回せばよいということになるが、これもむずかしい。

 浜松北部の、旧HK市のばあい、小学校は18校あるが、去年まで、女性校長は3人いた。し
かし2人、退職したので、現在(05年度)は、1人のみ。

 そうでない教師は、学級担任をつづける。が、50歳過ぎてからの、学級担任は、きつい。男
性教師にとっても、事情は、同じ。

 ますます拡大する教師の仕事。今では、家庭問題にまで教師が駆り出される時代である。
「子どもが警察につかまった。いっしょに行ってくれ」「子どもが家出をした。いっしょにさがしてく
れ」と。

 本来なら、教師は教育に専念すべきである。またそれをもって「教師」という。しかし雑務、雑
務の連続。これでは、本来の教育がおろそかになって当然。「これでいいのか」と疑問をもつの
は、私だけではないと思う。


●家庭問題が、そのまま学校に!

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 以前、荒れた学校が、問題になった。
しかし今は、問題になっていない?

実は問題になっていないのではなく、
荒れた学校が、当たり前になってしまった。

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 今どき、荒れた学校を問題にする人はいない。教師も、父母も、そして評論家も。それが当
たり前の現象になってしまったからである。

 しかし「荒れ」は「荒れ」でも、以前とは、少し質が変わってきた。H市で小学校の校長をしてい
るN氏は、こう話してくれた。

 「以前は、荒れというと、暴力事件を言いました。しかし今は、少し質が変わってきたように感
じます。つまり今は、家庭問題が、そのまま学校へ持ちこまれるようになりました。

 家庭騒動、親の離婚、貧困などなど。親の心の問題が、そのまま持ちこまれることもありま
す。引きこもり傾向を示す生徒がいたので、家庭訪問をしたら、親が出てこない。つまり親自身
も、引きこもってしまっているのですね。

 そういう子どもが、学校の内部で、いろいろな問題を引き起こします。最近の荒れは、そうし
て起こるものが多いです」と。

 ついでに言うと、その校長も、あの「金P先生」を、鋭く、批判していた。「ああいうありもしない
教師像を、マスコミが勝手につくり出すから、かえって、現場は混乱してしまうのです。

たとえばあの番組の中で、非行グループが、自転車のチェーンを振り回したとしますね。すると
つぎの日には、本当にそのチェーンをもって、学校へ来る生徒が出てきたりします」と。

 金P先生については、私も、たびたび批判してきた。ああいう教師を見て、「教師とは、こうあ
るべきだ」と考えるとしたら、それはまちがい。よくテレビドラマの中で、警官と悪党が、ピストル
でバンバンと撃ちあうシーンがある。

 それと同じくらい、金P先生の世界は、ありえない。たとえば金P先生は、非行少年の家の中
にあがりこみ、その少年の父親といっしょに、酒を飲んで、人生論を語りあったりする。

 しかしそれが教師のあるべき姿なのか。そこまでしてよいのか。あるいは、それこそまさに、
教師の(おごり)ではないのか。いや、その前に、体力そのものが、つづかない。20〜30人も
の子どもを相手にすることだけでも、重労働である。その上での、教育である。

 その金P先生について書いた原稿が、つぎのものである(中日新聞掲載済み)。

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教師が10%のニヒリズムをもつとき 

●10%のニヒリズム

 教師の世界には10%のニヒリズムという言葉がある。つまりどんなに教育に没頭しても、最
後の10%は、自分のためにとっておくという意味である。でないと、身も心もズタズタにされて
しまう。

たとえばテレビドラマに『三年B組、金P先生』というのがある。武田T也氏が演ずる金P先生
は、すばらしい先生だが、現実にはああいう先生はありえない。それはちょうど刑事ドラマの中
で、刑事と暴力団がピストルでバンバンと撃ちあうようなもの。ドラマとしてはおもしろいが、現
実にはありえない。

●その底流ではドロドロの欲望

 教育といいながら、その底ではまさに、人間と人間が激しくぶつかりあっている。こんなことが
あった。私はそのとき、何か別の作業をしていて、その子ども(年中女児)が、私にあいさつを
したのに気づかなかった。30歳くらいのとき、過労で、左耳の聴力を完全になくしている。

が、その夜、その子どもの父親から、猛烈な抗議の電話がかかってきた。「お前は、うちの娘
の心にキズをつけた。何とかしろ!」と。

私がその子どものあいさつを無視したというのだ。そこでどうすればよいのかと聞くと、「明日、
娘をお前の前に連れていくから、娘の前で頭をさげてあやまれ」と。こんなこともあった。

●「お前を詐欺で訴えてやる!」

 たまたま5月の連休が重なって、その子ども(年中女児)の授業が、一時間ぬけたことがあ
る。それについて「補講せよ」と。私が「できません」と言うと、「では、お前を詐欺で訴えてやる。
ワシは、こう見えても、顔が広い。お前の仕事なんかつぶすのは、朝飯前だ!」と。

浜松市内で歯科医をしている父親からの電話だった。信じられないような話だが、さらにこんな
こともあった。

 私はある時期、童話の本を読んでそれをカセットテープに録音し、幼稚園児たちに渡してい
たことがある。結構、骨の折れる作業だった。カラオケセットをうまく使って、擬音や効果音を自
分の声の中に混ぜた。音楽も入れた。もちろん無料である。そのときのこと。たまたまその子
ども(年長男児)が病気で休んでいたので、私はそのテープを封筒に入れ郵送した。

で、その数日後、その子どもの父親から電話がかかってきた。私はてっきり礼の電話だろうと
思って受話器を取ると、その父親はいきなりこう言った。「あなたに渡したテープには、ケース
がついていたはずだ。それもちゃんと返してほしい」と。

ケースをはずしたのは、少しでも郵送料を安くするためだったが、中にはそういう親もいる。だ
からこの一〇%のニヒリズムは、捨てることができない。

 これらはいわば自分を守るための、自分に向かうニヒリズムだが、このニヒリズムには、もう
一つの意味がある。他人に向かうニヒリズム、だ。

●痛々しい子ども

 一人の男の子(年中児)が、両親に連れられて、ある日私のところにやってきた。会うと、か
弱い声で、「ぼくの名前は○○です。どうぞよろしくお願いします」と。親はそれで喜んでいるよう
だったが、私には痛々しく見えた。4歳の子どもが、そんなあいさつをするものではない。また
親は子どもに、そんなあいさつをさせてはならない。

しばらく子どもの様子を観察してみると、明らかに親の過干渉と過関心が、子どもの精神を萎
縮させているのがわかった。オドオドした感じで、子どもらしいハキがない。動作も不自然で、ぎ
こちない。それに緩慢だった。

 こういうケースでは、私が指導できることはほとんど、ない。むしろ何も指導しないことのほう
が、その子どものためかもしれない。が、父親はこう言った。「この子は、やればできるはずで
す。ビシビシしぼってほしい」と。母親は母親で、「ひらがなはほとんど読めます。数も100まで
自由に書けます」と。

このタイプの親は、幼児教育が何であるか、それすらわかっていない。小学校でする勉強を、
先取りして教えるのが幼児教育だと思い込んでいる。「私のところでは、とてもご期待にそえる
ような指導はできそうにありません」とていねいに断わると、両親は子どもの手を引っ張って、
そのまま部屋から出ていった。

●黙って見送るしかなかった……

 こういうケースでも、私は無力でしかない。呼びとめて、説教したい衝動にかられたが、それ
は私のすべきことではない。いや、こういう仕事を30年もしていると、予言者のように子どもの
将来が、よくわかるときがある。そのときもそうだった。やがてその親子は断絶。子どもは情緒
不安から神経症を発症し、さらには何らかの精神障害をかかえるようになる……。

 このタイプの親は独善と過信の中で、「子どものことは、私が一番よく知っている」と思い込ん
でいる。その上、過干渉と過関心。親は「子どもを愛している」とは言うが、その実、愛というも
のが何であるかさえもわかっていない。自分の欲望を満たすため、つまり自分が望む自分の
未来像をつくるため、子どもを利用しているだけ。……つまりそこまでわかっていても、私は黙
って見送るしかない。

それもまさしくニヒリズムということになる。

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 熱血教師が悪いというのではない。しかし一つまちがえば、熱血教師は、子どもの問題にせ
よ、家庭の問題にせよ、さらにその問題をこじらせてしまう。その教師の独断と偏見、思いこみ
と早とちりが、かえって騒動を大きくしてしまうこともある。

 反対の立場で考えてみればわかる。

 ある日、突然、子どもの問題にかこつけて、あなたの子どもが通う学校の教師が、ズカズカと
あなたの家にあがりこんできたら、あなたは、どのような反応を示すだろうか。いくらあなたの
家庭に問題があったとしても、あなたはこう言うだろう。「失敬だ」と。

 話が脱線したが、こうした「荒れ」もあって、学校の教師は、ますます疲れる。ある女性教師
(小学校)は、はからずも、私にこう話してくれた。

 「授業中だけが、心と体を休める場所です」と。

 こうした現実を、どれだけの親たちが、知っているだろうか?

(付記)

 参観日に参観授業を見てきた親の中には、よく、こう言う親がいる。「すばらしい授業でした。
先生も、あそこまで教材を用意して、授業をしてくれるとは、思ってもみませんでした」と。

 しかしそれは、参観日だから、である。「参観日のあと、数日は、何もやる気が起きません」
と、その(疲れ)を訴える教師が多いことも、忘れてはいけない。





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●子どもの読解力

 国際的な学力調査、PISA(経済開発機構・OECD)の調査によれば、日本の子どもたちの
読解力は、第14位。参加国の中では、ほぼ平均的でしかなかったという(2003年)。

 わかりやすく言えば、文章を読みこなす力をいう。その読解力が、国際的な基準からしても、
「平均的でしかない」と。しかし読解力と言っても、中身は、それほど単純なものではない。

 表現力、表記力、作文力、洞察力、推察力、判断力、会話力などなど、もろもろの(力)が、そ
れに含まれる。が、何よりも重要なのは、自ら考える力。自ら考える力があってはじめて、その
上に、読解力が成り立つ。さらにそれに、時代性も加わる。日本語そのものが、変質しつつあ
る。たとえば……。

 読解力? ゲッ、本読み? やだア!
 今は、映像の時代ちゅうの。わかる?
 何も、本だけが、情報のもと? じゃ
 ないよね。ゲロゲロ、パッ!、と。 

 今の時代の中では、むしろ私の書く文章のほうが、古臭いということになる。あるいは時代遅
れ? 自分でも、それがよくわかっている。しかし今の私の書き方を改めろと言われても、そう
は簡単にはできない。

 私は、私。……ということで、ではその私が、若い人たちに、私の書き方を押しつけるのも、
どうかと思う。つまり基準そのものが、はっきりしない。私の基準からすれば、今の若い人たち
の読解力は、たしかに「?」。しかし若い人たちの基準からすれば、私のほうが、「?」。

 ……という話はここではやめて、子どもの読解力を向上させるためには、どうしたらよいか、
それを前向きに考えてみる。

 私の教室(BW子どもクラブ)では、つぎのような方法で、子どもの読解力を養っている。

(1)筆写

 小学2、3年以上は、毎回、レッスンの前の10分前後、筆写の時間にあてている。200字詰
め原稿用紙(2、3年)、あるいは400字詰め原稿用紙(4年以上)を使って、それに大正から
昭和にかけて活躍した文豪たちの文章を筆写させている。

 この方法は、確実に効果がある。理由がある。

 筆写にまさる精読はない。子どもは、筆写することによって、その文章を精読する。難解な漢
字にはすべてフリガナをつけておくが、筆写させるときには、漢字はそのまま書かせる。最初
のころは、「こんな漢字は知らない」とか何とか言うが、そのうち、あきらめて書くようになる。

 たいてい1、2年もすれば、みな、国語が得意になる。ある女の子(小6)は、こう言った。「学
校のテストに出てくる文章なんて、簡単すぎて、読む気にもなれない」と。

(2)朗読

 もう一つの方法は、テープレコーダーなどに録音した本を、子どもに聞かせるというのがあ
る。これは幼児〜小学生にとくに効果的である。

 それについて以前、こんな原稿を書いたことがある。少し内容が脱線するが、許してほしい。

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●またまた暴論!

 以前、こんなことを書いた、どこかの教授がいた。

○ 墓参りしたら、故人の遺骨を見せろ。子どもに生命の尊さを教える、よい機会である。
○ 夫婦喧嘩は子どもに見せろ。意見の対立を教えるのに、よい機会である。
○ 親子のきずなを深めるために、遊園地では、わざと子どもを迷子にせよ。
      (以上、100万部を超えるベストセラー書をもつ、T教授)
○ 子どもには、ナイフを渡せ。子どもを信頼しているという証(あかし)になる。
      (日本でも、著名な、S評論家)

 とんでもない暴論であることは、一読してわかる。

 そしてまたまた最近……。今度は、「絵本は、暗闇で読んでやれ」などということを書い
た本を出版した元教授がいる。

 何も、私が正しくて、彼らがまちがっているというのではない。ただ、こういうことは
言える。

 幼児教育をしたこともない連中が、こうしたメチャメチャな本を書くのだけは、やめて
ほしい。どこかの研究室の奥にひっこんで、想像だけで幼児教育を考えると、こういう本
を書く。

 それともあなたは、どこかの大学の教授が、(助教授でも、講師でもよいが……)、幼稚
園や保育園で、園児を直接指導している姿を見かけたことがあるとでも、言うのだろうか。

 多分、その元教授は、「暗闇という、空想のキャンバスに、子どもが自由に空想の絵がか
けるように……」という思いから、そう書いたのだろう。しかしその元教授は、本当に、
そういう指導をしたことがあるのだろうか。だいたいにおいて、親は、その暗闇の中で、
どうやって本を読むというのだろうか。

 あるいは、もしそうなら、昼間に本を読んで聞かせることは、まちがっていることにな
るのだろうか?

 こういう否定的なことばかりを書いては、意味がない。そこで私の意見。

 もし子どもに本を読んでやるなら、それをテープレコーダーに録音しておくとよい。子
どもは、それを繰りかえし聞くことで、内容を、暗記してしまう。またこれにまさる国語
教育は、ない。

 その方法なら、たとえば子どもが床についたあと、暗闇の中で、子どもに聞かせること
ができる。また親も、楽だ。つまりそういう指導なら、私にもわかる。

 この方法は、すばらしい。私の三男だったが、小学一年生くらいのとき、芥川龍之介の
「高瀬舟」をテープに読んで録音してやったことがある。あの難解な「高瀬舟」である。

 最初は、軽い実験のつもりだった。しかし二、三か月後には、三男は、そのほぼ全文を、
ソラで言うようになってしまった。これには、私も驚いたが、朗読には、そういう力もあ
る。

 子どもに本を読んでやるときは、子どもを、ひざに抱いて、暖かい息を吹きかけながら
読んでやるのがよい。明るいとか、暗いとか、それは重要な要素ではない。実際には、親
も忙しい。

 そういうときは、テープレコーダーを利用すればよい。

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 このテープレコーダーを利用するという方法は、実は、ある母親から教えてもらった。

 その子ども(年長・女児)は、ずば抜けて、国語力のある子どもだった。たとえば4枚の紙芝
居を渡して、話をさせたときでも、その子どもは、まさに立て板に水のごとく、スラスラと話をつく
ってみせた。

 しかもそのまま文章として書いてもおかしくないほど、内容もしっかりしていた。

 そこでそのあと、母親に、「秘訣は何ですか?」と聞くと、こう教えてくれた。

 その母親の趣味は、ドライブ。そのドライブの途中、いつもその母親は、自分の声で吹きこん
だカセットテープを、子どもに聞かせていた。「赤ちゃんのときから、そうしていました」とも。

 その女の子には、こんなエピソードがある。その女の子は、そののち、浜松市内でもいちば
んという進学校(中学・高校)に入学したが、高校を出るまで、賞という賞を総なめにして卒業し
ていったという。

 通りでの立ち話だったが、母親はこう言った。「作文だけは、だれにも負けませんでした」と。

 ……ということで、文部科学省は、05年に、読解力向上の指導資料を作成。考える力を軸
に、読む力と書く力の向上をはかることにした。県(神戸市など)によっては、副読本の使用を
始めたところもある。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 読解
力 子どもの国語力 子供の国語力 表記力)

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子どもの作文指導について
書いた原稿を添付します。

ご家庭での、指導に、
お役立てください。

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●作文指導

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 今、ほとんどの中学校では、入学試験に、
作文テストなるものをする。その作文テス
トについて、親たちからの、相談も多い。
「どうすればいいですか?」と。

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 今、ほとんどの中学校では、入学試験に、作文テストなるものをする。その作文テストについ
て、親たちからの、相談も多い。「どうすればいいですか?」と。

 実はその作文テストで、いつも1つ疑問に思っていることがある。つまり(じょうず・へた)は、
だれが判断するのかということ。テストをする教師だって、みながみな、作文がうまいとはかぎ
らない。そのことは、それぞれの学校が発行する印刷物などを読めばわかる。ときどき、「これ
が先生の書いた文章なのかなあ?」と思うことは、よくある。

 しかしそんな疑問をもっていたのでは、子どもたちに対して、指導ができない。では、どうする
か?

(1)声に出させて、読ませてみる。

 もっとも重要なコツは、子どもに作文を書かせたら、子ども自身に、それを声に出して、読ま
せてみること。これは子どもにかぎらない。おとなでも、そうだ。声に出して読んでみると、語句
の使い方が正しいかどうかが、わかる。文のリズムも、それでわかる。自然なリズムで、流れる
ようにサラサラと読める文章は、すばらしい。

 要するに気取らないで、話し言葉で書くということか。短い文章をつなげて、端的に書くのがコ
ツ。

(2)常識的なことを書く。

 作文テストで、教師が知りたいのは、その子どものものの考え方が常識的かどうかというこ
と。そのことは、入試問題として、与えられたテーマをみればわかる。

 今年の入試では、たとえばこんな課題が出された(H市内)。

●みんなで、映画を作ることになりました。あなたなら、どんな目的をもって、どんな映画を作り
ますか。

●みんなで、ロボットを作ることになりました。あなたが作るロボットは、どんなロボットですか。
またそのロボットには、どんな仕事をさせますか。

 こうした作文では、当然のことながら、戦争、死など、暗い話を書くのは、タブー。内容が未来
に向かって、明るくすなおなものであればよい。またこの世界には、「無思想の思想」という言
葉がある。わかりやすく言えば、思想という思想を感じない作文ほど、よい……ということにな
っている。たとえば、「神の教えに従って……」とか、「この世界は、すべて数学で構成されてい
る……」というのは、まずい。

 もちろん漢字の使い方や文字の書き方も評価されるが、それはマイナーな問題と考えてよ
い。

 で、あとは練習あるのみ。作文というのは、書けば書くほど、うまくなる。もし、親として家庭で
指導ができる部分があるとするなら、子どもとの会話に注意すること。それについて書いた原
稿を、ここに添付する(中日新聞掲載済み)。

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子どもの国語力は、親が決める!
親の会話力で、決まる!

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【子どもの国語力を伸ばす法】

子どもの国語力が決まるとき

●幼児期に、どう指導したらいいの?

 以前……と言っても、もう30年近くも前のことだが、私は国語力が基本的に劣っていると思
われる子どもたちに集まってもらい、その子どもたちがほかの子どもたちと、どこがどう違うか
を調べたことがある。結果、次の3つの特徴があるのがわかった。

(1)使う言葉がだらしない

ある男の子(小2)は、「ぼくジャン、行くジャン、学校ジャン」というような話し方をしていた。「ジ
ャン」を取ると、「ぼく、行く、学校」となる。たまたま『戦国自衛隊』という映画を見てきた中学生
がいたので、「どんな映画だった?」と聞くと、その子どもはこう言った。「先生、スゴイ、スゴ
イ! バババ……戦車……バンバン。ヘリコプター、バリバリ」と。何度か聞きなおしてみた
が、映画の内容は、まったくわからなかった。

(2)使う言葉の数が少ない

ある女の子(小4)は、家の中でも「ウン、ダメ、ウウン」だけで会話が終わるとか。何を聞いて
も、「まあまあ」と言う、など。

母「学校はどうだったの?」
娘「まあまあ」
母「テストはどうだったの?」
娘「まあまあ」と。

(3)正しい言葉で話せない

そこでいろいろと正しい言い方で話させようとしてみたが、どの子どもも外国語でも話すかのよ
うに、照れてしまった。それはちょうど日本語を習う外国人のようにたどたどしかった。

私「山の上に、白い雲がありますと、言ってごらん」
子「山ア……、上にイ〜、白い……へへへへ」と。

 原因はすぐわかった。たまたま子どもを迎えにきていた母親がいたので、その母親にそのこ
とを告げると、その母親はこう言った。「ダメネエ、うちの子ったら、ダメネエ。ホントにモウ、ダ
メネエ、ダメネエ」と。原因は母親だった!

●国語能力は幼児期に決まる

 子どもの国語能力は、家庭環境で決まる。なかんずく母親の言葉能力によって決まる。毎
日、「帽子、帽子、ハンカチ、ハンカチ! バス、バス、ほらバス!」というような話し方をしてい
て、どうして子どもに国語能力が身につくというのだろうか。

こういうケースでは、たとえめんどうでも、「帽子をかぶりましたか。ハンカチを持っていますか。
もうすぐバスが来ます」と言ってあげねばならない。……と書くと、決まってこう言う親がいる。
「うちの子はだいじょうぶ。毎晩、本を読んであげているから」と。

 言葉というのは、自分で使ってみて、はじめて身につく。毎日、ドイツ語の放送を聞いている
からといって、ドイツ語が話せるようにはならない。また年中児ともなると、それこそ立て板に水
のように、本をスラスラと読む子どもが現れる。しかしたいていは文字を音にかえているだけ。
内容はまったく理解していない。

なお文字を覚えたての子どもは、黙読では文を理解できない。一度文字を音にかえ、その音を
自分の耳で聞いて、その音で理解する。音読は左脳がつかさどる。一方黙読は文字を「形」と
して認識するため、一度右脳を経由する。音読と黙読とでは、脳の中でも使う部分が違う。

そんなわけである程度文字を読めるようになったら、黙読の練習をするとよい。具体的には
「口を閉じて読んでごらん」と、口を閉じさせて本を読ませる。

●幼児教育は大学教育より奥が深い

 今回はたいへん実用的なことを書いたが、幼児教育はそれだけ大切だということをわかって
もらいたいために、書いた。相手が幼児だから、幼稚なことを教えるのが幼児教育だと思って
いる人は多い。私が「幼稚園児を教えています」と言ったときのこと。ある男(五四歳)はこう言
った。「そんなの誰にだってできるでしょう」と。

しかし、この国語力も含めて、あらゆる「力」の基本と方向性は、幼児期に決まる。そういう意
味では、幼児教育は大学教育より重要だし、奥が深い。それを少しはわかってほしかった。

+++++++++++++++++

【補記】

 自分の書いた文章を、一度、声に出して読んでみるというのは、とても重要なことである。そ
してできれば、いつも、読む人側の立場にたって、書くこと。つまり読む人にとって、わかりやす
い文章かどうかを考えながら、書くこと。

 たとえば、こんなメールを受け取ったとしよう。「先日は、いろいろありがとうございました。あ
のあと、あの問題などをよく考えてみましたが、原因は父親にあると思います。が、息子として
も反省すべき点もあると思います。これからも、よろしくご指導ください」と。

 「父親」というのは、その人自身の親のことなのか、それとも、その人の夫のことなのか。
 「あの問題」とは、何か。
 「息子として……」というのは、だれのことなのか、などなど。「いろいろ」とか、「あの」「など」と
かいう言葉は、使うとしても、最小限にしたい。

 こういう文章に出会うと、それだけでイライラしてしまう。そういう文章は、へたくそな文章とい
うことになる(失礼!)。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 作文
 作文指導 子どもの国語力 国語力の基礎 読解力 読書力)





【子どもに育てられる】

【子どもに育てられる】

●奇跡

 そのとき私とワイフは、貸し船の上で、横になっていた。三男は船のうしろに立って、海のほう
を見ていた。のどかな午後だった。船がゆらゆらと揺れるたびに、夏の白い日差しが、ビニー
ルのおおいを通して、同じようにゆらゆらと揺れた。

 そのころ私とワイフは、毎週のように近くの浜名湖へ出かけ、そこで船遊びをしていた。船と
いっても、500ccの小さなエンジンをつけた釣り船である。それを貸し船屋で借りて、浜名湖へ
と出た。1日、7000円とか8000円の賃料だった。

 その船で、浜名湖の中央あたりまで行くと、広く遠浅になったところがある。深さは、深いとこ
ろでもおとなのひざの下。私たちはそれを「天然のプール」と呼んでいた。その日もそうだった。
私たちはあえて人の姿が見えない場所を選んで、そこに船を止めた。いかりをおろした。

 言い忘れたが、そのとき長男は9歳、二男は6歳、そして三男は3歳だった。

 私とワイフは、いつものように、子どもたちをそこで遊ばせると、そのまま船の上で横になっ
た。どれくらい時間がすぎただろう。と、そのとき、突然、三男が叫んだ。「お兄ちゃんが、いな
い!」と。

 その声に驚いて海のほうを見ると、そこにいるはずの長男と二男がいない。あわてて船のう
しろのほうを見ると、長男と二男が波の中で両手をあげているのがわかった。私はそのまま海
に飛び込んだ。

 浜名湖といっても、ところどころ川になったようなところがある。もちろん上からはわからな
い。その川に沿って、潮が満ちたり、引いたりする。そのときになると、ゴーゴーと渦を巻きなが
ら流れることもある。

 船はいつの間にか、その川の中に入っていた。知らなかった。気がつかなかった。

 私は長男の手をつかむとそのまま船にもどった。その手をワイフに渡したあと、二男のほうを
見ると、二男はすでに50〜60メートル先を流されているのがわかった。二男の両手だけが、
波の間から見えたり隠れたりしていた。私はとっさの判断で、船に飛び乗った。私は二男が泳
げないことを知っていた。

 錨(いかり)をたぐろうとした。が、その錨が長くのびきっていて、びくともしない。海の流れに、
船全体の重さが、それに加わっていた。斧(おの)のようなものがあれば、それを切ることもで
きたのだろうが、それもなかった。「ああああ」と思うのが精一杯だった。

 が、そのとき、奇跡が起きた。ほんとうに奇跡だ。

 あの広い海で、しかも私たちは、わざと人目のないところを選んで船を止めたその場所で、1
人だけ、魚を釣っている男性がいた。あとで話を聞くと、その人は、私たちの行動の一部始終
を遠くから見ていたという。そして私が船から飛び込むと同時に、その人も、海へ飛び込んでく
れた。

 私がもう一度二男のほうを振り向くと、その男性は、まさにモーターボートのような水しぶきを
あげて、二男を海から救い出すところだった。私がそれまで見たことのない泳ぎ方だった。これ
もあとで話を聞いて知ったことだが、その男性は、水泳の元国体選手だったという。

 私はそれを見て、そのまま船の上ですわりこんでしまった。

●親を育てる子ども

 親が子どもを育てるというのは、ウソと断言してよい。親が子どもを育てるのではない。子ど
もが親を育てる。よく「育自」と書いて、「子育てとは、自分を育てること」と書く人がいる。まちが
ってはいないが、子育ては、そんな甘いものではない。

 親はいくたの苦労を重ねながら、それこそ山を越え、谷を越えるうちに、否応なしに、子ども
によって育てられる。たとえばはじめて幼稚園へ子どもを連れてくる母親というのは、たしかに
若くて美しい。しかしどこかツンツンとしていて、中身がない。送迎バスの運転手や、炊事室の
女性にだと、あいさつすらしない。

 しかしそんな母親でも、2年、3年と子どもとともに幼稚園ですごし、卒園するころになると、み
なに深々と頭をさげるようになる。

 が、それだけではない。ある母親は、自分の2歳の息子が大病を患い、生死の境をさまよっ
ていたとき、天に向かってこう祈ったという。「私の命はどうなってもいい。私の命と交換してで
も、あの子の命を救って」と。

 こうした自分の命すら惜しくないという、まさに至上の愛は、人は親になり、子どもをもっては
じめて知る。友人や夫婦の間でも、似たような愛を覚えることはあるが、それはまれ。先日も私
はワイフにこう聞いた。おそるおそる、聞いた。

 「なあ、もしぼくの腎臓が、2つともだめになったら、お前の腎臓を1つくれるか?」と。

 それに答えて、しばらく考えたあとワイフはこう言った。「考えとくわ」と。

 そこで質問を変えた。「もし息子のうちのだれかの腎臓が2つもだめになったら、どうする?」
と。するとワイフは一も二もなく、こう言った。「あげるわ。両方ともあげるわ」と。

●こいつは生きているだけでいい

 話がそれたが、以後、私は、二男に対しては、子育てのし方そのものが、変わってしまった。
長男や三男はともかくも、二男に対しては、何があっても、「こいつは生きているだけでいい」と
思うようになった。

 たとえば二男は、毎年春先になると、重い花粉症が原因で、不登校を繰り返した。夜、眠ら
れないから、し方のないことだった。で、そのまま夏休みが終わるまで、学校へ行かないことも
あった。

 そういうときでも私は、「こいつは生きているだけでいい」と思うことで、自分を納得させること
ができた。さらにこんなこともあった。

 二男が中学2年生になってしばらくのこと。突然、二男がこう言った。「パパ、ぼくは受験勉強
なんかしないと思う。そう思うから、しない」と。話を聞くと、こう言った。

 そのとき二男は生徒会の学年代表をしていた。そのこともあって、二男はひとりで、朝のあい
さつ運動を始めた。校門のところに立って、そこを通り抜ける先生や生徒に、あいさつをした。
で、それが先生たちに評価された。

 当時、(今もそうだが)、成績表には、ボランティア点というのがあった。何かのボランティア活
動をすると、それが評価されて成績表に記されるしくみになっていた。その得点が多い子ども
は、それだけ高校受験に有利になる。

 朝のあいさつ運動が、そのボランティア活動に認定された。とたん、校門から玄関まで、学生
たちがズラリと並ぶところとなった。あいさつをするというよりは、たがいにふざけあうだけ。そ
れを見て、二男は、「受験勉強なんて、くだらない」「みんなは、ああまでしてでも、点数がほしい
のか」と。

 この言葉に私はともかくも、ワイフは少なからずあわてた。私が住む静岡県では、高校受験
が、人間選別の重要な関門になっている。二男は、自ら、それを放棄してしまった。が、私はそ
のときも、「ああ、こいつは生きているだけでいい」と、自分を納得させることができた。

●私を超えた二男

 その二男でとくに印象に残ったことに、こんなことがある。

 二男が、高校に入学した直後のことだった。二男が、毎晩、学校から帰ってくると、ジョギング
に出かけるようになった。それについて、ワイフに、「どうして?」と聞くと、ワイフがこう話してく
れた。

 「体の弱い子がいるからよ。同じワンゲル部に入りたいという友だちがいるのだけど、その子
の体は弱くて、ワンゲル部を落とされそうなの。それでその子のために、伴走しているのよ」と。

 私はそれを聞いたとき、二男という子どもが、私を超えたのを知った。事実、それからは二男
を、私の子どもというよりは、対等の人間としてみるようになった。そういう意味では、親という
のは、いつ自分の息子たちが自分を超えるか気にしているもの。

 自分より大きな魚を釣ったとき。自分より腕相撲が強くなったとき。自分より背が高くなったと
き。そのときもそうだった。

 その相手の子どもについても、こんな思い出がある。二男がそのときいっしょに伴走してい
た、相手の子どもでのことである。

 受験勉強を放棄してしまった二男は、そのあと、実に優雅な中学生生活を送った。毎日、受
験塾に通う仲間たちを尻目に、好き勝手なことをして遊んだ。パソコンに夢中になったのも、そ
のころのことだった。

 そしていよいよ高校受験ということになった。当時、この浜松市では、(今も、基本的には同じ
だが……)、高校には、偏差値に応じて、ランクづけがなされていた。上はSS高校から、下
は、FF高校、GG高校。さらに「ボトム校」と呼ばれる、LL高校、MM高校まで。そういうランク
づけが、ずらりとできていた。

 二男が選んだのは、その中でもボトム校に近い学校だった。「何も、そこまで……」と言いか
けたがやめた。そのときも「こいつは生きているだけでいい」という思いが、その言葉を、胸の
中に押し込めた。が、事件は、そのあと起きた。

 高校受験が近づいてきたある夜のこと。正月になる前のことだった。2人の母親から、同時
に電話がかかってきた。そしてこう言った。

 「お宅の息子さんが、どこの高校に行こうと、私は知りません。あなたがたの勝手です。が、
どうかうちの子を、その高校に誘わないでください」と。ものすごい剣幕だった。ワイフはそうい
う電話を受けて、「すみません」「すみません」とだけ言って、謝っていた。

 で、私も二男にこう言った。「お前がその高校へ行くのはかまわないが、友だちを誘うな」と。
すると二男はこう言った。「ぼくは誘わない。あいつらが勝手にぼくについてくると言っているだ
けだ」と。

●優雅な高校生活 

 高校へ入ってからも、二男は勉強らしき勉強をほとんど、しなかった。当初は意気込んでいた
ようだったが、中学のときの教科書より簡単な教科書を見て、ショックを受けたらしい。さらに進
学高校で使う教科書とは比較にならないほど簡単な教科書であるのを知って、さらにショックを
受けたらしい。その高校では、国立大学に入る子どもは、数年に1人、いるかいないかというよ
うな状況だった。

 二男は、再び、コンピュータに没頭するようになった。一方、私は惜しみなく、二男には最新
型のコンピュータを買い与えた。

 二男は、小学3年生のころには、ベーシック言語を使って、自分でゲームを作って遊んでい
た。中学生になるころには、C言語をマスターしていた。そして高校生になるころには、自分で
ウィルス対策ソフトを作って遊んでいた。

 作曲のためのソフトや機器も買いそろえた。もともとは私がしていたものだが、それらはす
ぐ、二男のものになった。二男が、NEC主催の作曲コンテストで、全国大会に出たのもこのこ
ろである。

●二男のこと

 二男が高校2年生、三男が中学3年生になる前のこと。三男が、中学校で生徒会長に選ば
れた。それを二男に話すと、二男はこう言った。「ぼくにだって、なれるよ」と。

私「そうは言っても、昔からこう言うだろ。『言うは易(やす)し、するは難(かた)し』とね。生徒会
長に当選するというのは、簡単なことではないよ」
二「なれるよ。その気になれば」と。

 そこで二男がとった方法は、こうだ。

 二男は、1人の友人を生徒会長の立候補者に立てた。自分は、選挙責任者になった。二男
は幼児のころからそういう子どもだった。

 ある日、幼稚園へ行ってみると、二男は、みなを三輪車に乗せて、それをうしろから押してい
た。みなは、その三輪車に乗りたいため、列を作って待っていた。私が、「たまには、お前が三
輪車に乗って、だれかに押してもらったら」と言うと、二男は、こう言った。

 「ぼくは、このほうが楽しいもん」と。

 で、その友人は、無事当選。生徒会長になった。二男はそのまま、文化祭の実行委員長にな
った。

 実はその友人というのは、あの夜、ワイフに電話をかけてきた母親の息子だった。「どうかう
ちの子を、誘わないでください」と言った、あの母親の息子である。もちろんそのことを私は知ら
なかった。が、あとで、つまり卒業式の日に、そのことをワイフから聞いて知った。

 その母親がワイフのところへきて、こう言ったという。「うちの子が、ここまでなれたのは、お宅
の息子さんのおかげです」「ありがとうございました」と。

 私はその言葉を聞いて、涙を流した。ワイフも涙を流した。

●私は実存の世界に

 親が子どもを育てるのではない。子どもが親を育てる。それを知るかどうかは、ひとえに親の
育児姿勢による。子どもの横に立ち、謙虚に耳を傾ける。それができれば子どもの声が聞こえ
てくる。そうでなければ、そうでない。

 この先を話す前に、少し自分のことを書かねばならない。戦後生まれの多くの学生たちが、
そうであったように、私もサルトル※やボーボワール※の影響を強く受けた。学生時代には、
バートランド・ラッセル※の本をよみふけっていた。

 そんなわけで「自由」という言葉に、特別の響きを覚える。言いかえると、私は学生のころか
ら、「自由」をひとつのテーマとして生きてきた。自ら実存主義者と称したこともある。が、実のと
ころ、それがどういうものであるかさえ、ほんとうのところは知らなかった。

 しかしそんな私でも、サルトルが説いたところの「自由刑」という言葉の意味は理解できた。自
由になればなるほど、自分の行動を規定するものを、何ももたなくなる。つまりその分だけ、い
つも孤独に苦しむ。苛(さいな)まれる。

 ハイデッガー※風に言えば、「死といつも隣り合わせの限界状況で生きる」ということになる。
もっとわかりやすく言えば、自由に生きるといっても、そこにはいつも限界がある。いくら「私は
自由だ」と声を高くして叫んでも、死によって、すべての自由を奪われる。

 その点、神や仏を心の中にもつ人は、それだけでも、気が楽。神や仏が、行動を規定してく
れる。が、それすら、私にはない。自由に生きるということは、まさにひとりで生きることを意味
する。

 が、それについて、二男はこんなことを教えてくれた。

●子どもが巣立つとき

 あれほど勉強しなかった二男だが、アメリカの私立大学に入ってからは、ちがった。あとにな
って二男はこう言った。「ぼくは気が狂ったように勉強した」と。

 アメリカの私立大学には、私の友人を介して入学した。私は「1、2年、英語をかじってくれば
いい」と、そんな軽い気持ちで二男を送り出した。

 そのころこんなエッセーを書いたことがある。そのまま紹介する。今まで書いてきたことと、少
し内容が重複するが、許してほしい。この原稿は、子育てエッセーとして、当時、中日新聞に掲
載してもらったものである。

++++++++++++

階段でふとよろけたとき、たまたまそこにいた三男が、うしろから私を抱き支えてくれた。苦笑
いをして、その場はやりすごしたが、いつの間にか、私はそんな年齢になった。腕相撲では、も
うとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太くなった息子の腕を見ながら、うれしさとさみしさ
の入り交じった気持ちになる。

男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。息子
が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、ネクタイ
をしめてやったとき。そのつど、「まだまだだな」と思ってみたり、「もう勝てないな」と思ってみた
りする。そうそう二男のときは、こんなことがあった。

二男が高校に入ったときのことだ。二男が毎晩、学校から帰ってくると、ランニングに行くように
なった。しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教えてくれた。「友だちのために伴走しているの
よ。同じワンゲル部に入る予定の友だちが、体力がないため、落とされそうだから」と。

その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。いや、それ以後は二男を、子どもという
よりは、対等の人間として見るようになった。

その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育ても終わっ
てみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠い昔に追いやられ
る。

「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子たちの話に耳を傾けてやれ
ばよかった」と、悔やむこともある。

そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。そ
していつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生も終わりに近づく。

その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたときのこ
と。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が机のうしろから出てきた。私は最初、それが誰の写真
かわからなかった。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。うしろか
ら女房が、「Sよ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。

何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれが勝手な
ことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツのふとんを、「臭い、
臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。長男や二男は、そうい
う三男を、横からからかう。

そんな思い出が、脳裏の中を次々とかけめぐる。そのときはわからなかった。その「何でもな
い」ことの中に、これほどまでの価値があろうとは! 子育てというのは、そういうものかもしれ
ない。街で親子連れとすれ違うと、思わず、「いいなあ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬
間、「がんばってくださいよ」と声をかけたくなる。レストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見て
も、最近は、気にならなくなった。「うちの息子たちも、ああだったなあ」と。

問題のない子どもというのは、いない。だから楽な子育てというのも、ない。それぞれが皆、何
らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、その時代が人
生の中で、光り輝いているのを知る。

もし、今、皆さんが、子育てで苦労しているなら、やがてくる未来に視点を置いてみたらよい。
心がずっと軽くなるはずだ。

++++++++++++

 二男は、2年間、その私立大学に通ったあと、となりの州立大学に移った。そしてそこでさら
に2年間通ったあと、学位を取って、無事、その大学を卒業した。

●ガールフレンド

 「卒業式に来てくれるか?」というので、「卒業式には無理だが、3月には行ける」ということ
で、私とワイフは、3月にアメリカに向かった。その飛行機の中でのこと。

 私とワイフは、二男にガールフレンドができたことを知っていた。メールにそう書いてあった。
それなりの覚悟はしていた。が、できればガールフレンドの段階で、止まってほしいと願ってい
た。

私「しかしなあ……。結婚の話が出たら、どうする?」
ワ「そうねえ……」
私「急だろ。卒業間際になってできたガールフレンドだし……。親としては、そのまま日本に帰
ってきてほしいね」
ワ「S(=二男)の様子を見なければ、わからないわ」と。

 が、私の期待は、淡くもそのまま消えた。二男はガールフレンドを紹介してくれたが、そのとき
も、また車を運転しているときも、食事をしているときも、2人は片時も手を放さなかった。二男
は左利き。ガールフレンドは右利きだった。

 私とワイフは、それを見て、あきらめた。

私「あれじゃあ、だめだよ」
ワ「そうねえ」
私「結婚に反対したら、たいへんなことになるよ」
ワ「私も、そう思う……」と。

 で、その日は、そのまま終わった。ただ一言、ガールフレンドがひとりになったとき、彼女に私
はこう聞いた。ガールフレンドといっても、アメリカ南部の州で生まれ育っ女性である。人種偏
見のはげしい土地柄と聞いていた。アジア人は、黒人よりも下に見られている。相手の親だっ
て、アジア人と結婚すると言えば、いい気はしないだろう。

 「Dさん、あなたは、息子のEを愛しているか?」と。

 それに答えてDは、顔を輝かせて、大きな声でこう答えた。「Yes, I do love him.」と。
その一言で、私たちの心は決まった。

●「日本人であることをやめるのか?」

 その日は、リトルロックにあるホテルに泊まった。由緒あるホテルらしかった。調度品のどれ
を見ても、ズシリとした歴史の重みを感じた。

 その夜のこと。私とワイフは、ベッドの上にすわっていた。二男は、床の上に座っていた。しば
らくいろいろな会話をした。その会話が不自然に途切れたとき、二男が、口を開いた。

二「パパ、ぼく、Dと結婚するよ」
私「……。人種偏見の問題はないのか?」
二「そんな問題は、どこにでもあるよ」
私「わかった」と。

 その少し前、私とワイフは近くを散歩した。ちょうど1ブロック離れたところが、州議会の議事
堂になっていた。ワシントン市にあるホワイトハウスは、その議会がモデルになったという。そ
の議事堂の上には、アメリカ国旗と並んで、南軍の国旗がはためいていた。アーカンソー州
は、そういう州である。英語にしても、みな、あのジョン・ウェインそっくりの話し方をする。

二「でね、パパ、結婚式は、こちらでするよ」
私「こちらで……? 日本では、花婿のほうで結婚式をすることになっている」
二「いいや、アメリカでは、花嫁のようで結婚式をする」
私「へえ、アメリカでは、花嫁のほうでするのか」
二「花婿が、花嫁のほうに迎えにくるという形をつくる。でね、結婚式には来てくれるか?」
私「もちろん、来るよ」と。

 窒息しそうな胸苦しさを覚えた。胸の奥がつまったような感じだった。「オレの子ではないか」
「どうしてその子が、アメリカ人なんかと結婚するんだ」「日本へ帰って来い」と。

二「パパ、それで……」
私「何だ?」
二「でね、ぼくね、洗礼を受けてクリスチャンになるよ」
私「クリスチャン? ……あのなあ、うちは、真言宗大谷派だぞ」
二「でも、インチキな結婚式はしたくない」
私「わかった……」と。

 いくら「生きているだけでいい」と思って育ててきた息子かもしれないが、そのつど、私は自分
の心をグイグイと押しつぶさなければならなかった。のどのすぐそこまで、つぎの言葉が出かか
っていた。「帰ってこい」と。しかしそれは言わなかった。……言えなかった。苦しかった。つらか
った。するとまた二男がこう言った。

二「パパ、就職はこちらでするよ」
私「……うん、日本は今、不景気だからな……。いいところは見つかったのか」
二「教授が、ひとつ勧めてくれたところがある」
私「わかった……」と。

 私の胸は張り裂けそうだった。ワイフのほうを見る余裕は、とっくの昔に消えていた。体中が
硬く、こわばっているのが、自分でもよくわかった。一言、一言、私はふりしぼるような声で、二
男の言葉に答えた。

 しかしさすがの私も、つぎの言葉を聞いたときには、手が震えた。体も震えた。

二「パパ……。ぼくね、アメリカ国籍を取るよ」
私「……お前……、日本人であることをやめるのか?」
二「……そうだ……」と。

 と、そのときのこと。「わかった」と言うのと同時に、一抹の軽い風が、心の中をスーッと通り
抜けるのを感じた。それはさわやかな風だった。それまで心をふさいでいた、重しが、その風と
ともに、どこかへ消えた。それが自分でもよくわかった。

 実にさわやかな風だった。言うなれば、1人の子どもを育てきったという思い、1人の子どもを
育てきったという思い、そして1人の子どもを信じきったという思い、そういうものが一体となっ
て、心の中を駆け抜けた。

 私たちがなぜ子育てをするかといえば、いつか子どもを自立させるため。子どもの背中をた
たいて、こう言う。

 「さあ、お前の人生だ。思いっきり、この広い世界を、羽ばたいてみろ。だれにも遠慮すること
はない。思う存分、羽ばたいてみろ」と。

 そのときが、そのときだった。

●死の克服

 私たちは、なぜ死ぬのがこわいか。……という質問は、私たちは、なぜ失うことを恐れるかと
言いかえてもよい。

 あのサルトルは、実存主義を追求しながら、最終的には、「無」の概念に行き着く。意識から
自我を排除しようと試みた。同じように、なぜ私たちがなぜ失うことを恐れるかと聞かれれば、
そこに「私」があるからにほかならない。

 もし私の中に「私」がなければ、私はそも、失うことを恐れないはず。たとえば無一文の人は、
泥棒を恐れない。それと同じ理屈で、もしこの私から、「私」を取り除けば、ひょっとしたら、死す
らも、克服できる。そのときがきたら、笑ってそれを迎えることができる。

 「やあ、おいでになりましたか」「いっしょに、あの世へ行きましょう」と。

 が、私には、「私」というしがらみが、無数にまとわりついている。「私の財産」「私の名誉」「私
の地位」「私の経歴」と。そういったものが、私をがんじがらめにしている。だから、こわい。失う
のがこわい。死ぬのがこわい。

 だからといって、私は、二男をあきらめたわけではない。二男を捨てたわけでもない。私は二
男に二男の人生を、渡した。「私の二男」という「私の」を取り払った。

 さわやかな風を感じたのは、そのためだった。

●『許して忘れる』

 親が子どもを育てるのではない。子どもが親を育てる。育てるだけではなく、子どもは、親で
ある私という人間に、何かを教えるために、そこにいる。

 ミニチュアの世界かもしれないが、子育てをしながら、野を越え、山を越え、さらに谷を越えて
いると、そこに人としての気高さを覚えることもある。そう、子育ては、まさに『許して忘れる』の
連続。『許して忘れる』というのは、英語では、「for・give & fo・rget」という。この単語をよく
見ると、「与えるため&得るため」とも読める。

 何をか?
 
 つまり『許して忘れる』というのは、「子どもに愛を与えるために許し、子どもから愛を得るた
めに忘れる」という意味になる。その度量の広さが、結局は、愛の深さということになる。

 子どもは、けっして、ただの子どもではない。何かを教えるために、そこにいる。それがわか
るかどうかは、つまるところ私たち自身の姿勢による。昔、オーストラリアの友人はこう教えてく
れた。

 「ヒロシ、親には3つの役目がある。ひとつは、子どもの前に立って、子どもの手を引きなが
ら、歩くこと。ガイドとして。2つめは、子どものうしろに立って、子どもの背中を守りながら歩くこ
と。保護者として。そして3つめは、子どもの横に立って、子どもと手をつなぎながら、前を向い
て歩くこと。子どもの友として」と。

 日本人は、伝統的に、ガイドや保護者になるのは得意。しかし友として、子どもの横に立つの
が苦手。そういう習慣すらない。

 が、もしあなたが子どもの横に立ったら……。その謙虚さを大切にしたとき、あなたの子育て
は大きく変わる。子育ての世界が、大きく広がる。

 二男は、そのとき、私に自由の意味を教えてくれた。もちろんだからといって、私が死の恐怖
から解放されたというわけではない。私には、まだ「私」というしがらみが、無数にまとわりつい
ている。しかし二男が、その目標を示してくれた。サルトルが説いたところの、(無の存在)がど
ういうものであるかを、教えてくれた。今はまだ無理かもしれないが、いつか、そういう心境に達
することができるかもしれない。

 その夕刻、私とワイフは、リトルロックの町の中を歩いた。子どものように、はしゃぎながら…
…。

(注※)

サルトル……ジャン・ポール・サルトル(1905〜1980)、フランスの思想家
ボーボワール……シモン・ドゥ・ボーボワール(1908〜1986)、フランスの女流小説家
バートランド・ラッセル……(1872〜1970)、イギリスの哲学者
ハイデッガー……マルティン・ハイデッガー(1889〜1976)、ドイツ哲学者



















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