おおざっぱにみて、欧米の子ども部屋には、ベッドとクロゼットがあるのみ。勉強机はない。一方、日本の子ども部屋には、学習机が置いてあるのがふつう。
おおざっぱにみて、欧米の子ども部屋には、カギがかかるようになっている。一方、日本の子ども部屋には、カギがない。母親が、掃除などの理由で、子ども部屋に入る姿は、日本では、日常的な光景。
おおざっぱにみて、欧米のほとんどの子ども部屋には、テレビは、ない。一方、日本の子ども部屋には、テレビがある。
……詳しくは、北浦かほる著、「世界の子ども部屋」(井上書院発行)を、ご覧になっていただきたい。
「子ども部屋悪玉論もあるが、子どもがひとりきりになれる世界も必要」というのが、北浦氏の意見である。まったく、同感である。
私のばあいは、昔風の家に生まれ育ったということもあって、すべてが、母親の管理下に置かれていた。高校生になって、やっと自分の部屋らしきものを与えられたが、家族のタンスもそこにあった。人の出入りは、もちろん自由。プライバシーも、何も、あったものではなかった。
そういう自分の経験から、つまり家庭の中に、自分の居場所がなかったという経験から、私は、「子ども部屋悪玉論」には、どうしても賛成できない。言うまでもなく、子ども部屋悪玉論を説く人たちは、「そのために、家族のコミュニケーションが希薄なる」と説く。
しかし実際には、家族のコミュニケーションが希薄になるのは、子ども部屋の子どもが閉じこもるからではなく、もっと、ほかの要因によるものである。たとえばプライバシーが筒抜けだったの私のばあい、それだけ家族のコミュニケーションが、濃厚だったかといえば、そういうことは、決してなかった。
なお、欧米では、(アメリカでも、EUでも)、生まれるとすぐ、自分の個室を子どもに与えるのが、全体的な習慣になっている。
そこで私なりの子ども部屋論について。
(1)子どもが小学生になったら、子ども部屋を与える。兄弟の相部屋は、避ける。
(2)子ども部屋には、ベッド(寝具)とクロゼットを置く。あくまでも睡眠の場所と、位置づける。
(3)学習机は、置くとしても、平机。心身を休める机にする。低学年のうちは、学習は台所のテーブルなどを利用する。
(4)子ども部屋は、子どもの管理に任す。掃除などでも、子どもの許可を求めてからする。子ども部屋は、親でも足を踏み入れることができない、神聖不可侵の空間と心得ること。
(5)テレビ、ステレオなどの、娯楽機器は、置かない。娯楽機器は、家族全員が触れることができるように、居間に置く。
基本的には、そういう考え方をしながら、あとは、それぞれの家庭の事情と、子どもの希望にそって、考えればよい。
【補記】
私は北浦氏の本を読んで、一つ、思い当たることがあった。
先日、知りあいの中国人が、部屋を改装した。子ども部屋を改装したと、その母親は言っていた。
が、見ると、大きな部屋(20畳くらい)の部屋の中央に、大きなソファと、テーブル。二人の子どもの机は、部屋のまわりに、カベにつけて配置してあった。
私はそれを見たとき、「これじゃあ、毎日、子どもが親に監視されているみたいだ」と思った。しかし北浦氏の本によれば、それが標準的な中国人の子ども部屋ということになる。
このことをあとでワイフに話すと、ワイフは、こう言った。「中国では、子どもはその親の財産という考え方をするからではないかしら」と。「少し前の、日本もそうだったわ」とも。
それがよいとか悪いとか言っているのではない。ただ子どもの考え方、子ども部屋の考え方というものは、国によっても、ちがうということ。
今、日本は、急送な欧米化のもと、子ども部屋に対する考え方も、これまた急速に欧米化している。今は、その過渡期ということになるのかもしれない。
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