田丸謙二のこと(2)
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Independent thinker

Independent thinkerを育てるエデュケイションを
現在の教育が日本の将来を決める
田丸謙二

最初に一言。 Education という言葉を辞書で引くと「教育」と書いてある。しかし本当は日本式
の「教育」の「教え込む教育」ではなくて、生徒の(才能や知恵を)educe 引き出す作業のことで
ある。ドイツ語でも Erziehung まさに「引き出す」のである。日本式の「知識を詰め込む」教育と
はベクトルが180度違って、逆なのであり、日本の「教育」には大変に乏しい要素である。

一昔前には電車の中で見回すと何処かで誰かが漫画の本を見ていたものである。近頃ではど
うだろう? 何処かで携帯電話をいじくっている人がいる。これからニ、三十年先にはどうなっ
ているだろうか。多分車内の何処かでポケットから出したパソコンを開いてみているのではな
かろうか。そのような来るべきパソコン持参のコンピュータの時代を支えるのが今の子供たち
である。この時代には国際化、情報化がさらに加速度的に進み、ダイナミックな、変化の早い
時代になる。新しい時代は新しい人材を求める。この時代に適応し、その時代をリードするに
はコンピュータのできないことが出来る知恵を持った人材である。「知識偏重」の教育はもう終
わりで、ダイナミックな時代には知恵を持ったダイナミックな人材が求められるのである。我々
は今の子供たちのために何をすればいいのか、日本の将来を決めるのは現在の子供たちへ
のエデュケイションなのである。

日本は元来「文化の輸入国」であった。「マナブ」ということは「マネブ」、真似をする、から来て
いる言葉である。自分で学問を創り、築いた歴史が乏しいので、おのずから「学力」とは外国か
ら学び受けた知識の量を現すものとなり、支配的に「知識偏重」の風土になっている。高校の
理科の時間を参観すると、殆ど会話がない、「わかったか、覚えておけ」の一方的な教え込み
である。それが限られた時間内に最も効率よく沢山のことを教えることが出来、「知識偏重の
入試」に対する最適の教え方なのである。そこには自分の個性的な知恵を育てたり、自分の
頭できびしく考え、判断し、新しい問題を考えたり、基本を応用したり、発展させる頭の働きを
磨く訓練は殆どない。自分の言葉で話し、debateすることもないし、議論を通して学ぶ機会も殆
どない。個性を磨くどころか、エデュケイションとは正反対のベクトルである。

 こうして育った生徒は大学に来ても私語はあっても、質問は少ない。 考えながら学ぶ習慣
が乏しいからである。アメリカのように講義のあとで教授の部屋の前に行列して質問、討論を
するなど夢にようである。さらに大学院に進むと、ここは独創的なことをするんだ、自分で考え
ろ、と言われても、それまで受け取ることばかりであっただけに、出来るわけがない。.野依良
治教授がアメリカと日本の新しい学位授与者を比べると、相撲で言えば三役と十両の違いで
ある、と言われたのも分かる気がする。 

アメリカではこの時代の早い動きを先取りして、教育を大きく改革した。理科教育について言え
ば、それまでは鯨の種類など理科的知識を重視して覚えさせていたのを止めて、science 
inquiry つまり、探究的にものを考えるように切り替えたのである。そうしてその探究的な考え
方が、理科だけでなく歴史や社会など他の学科にも基本的な考え方として拡げていったのであ
る。この大きな教育改革はアメリカでは1889年頃から科学アカデミーの National Research 
Council が中心となり始まった。全国から選ばれた人達が原案を作り,1992年5月から18ヶ月の
間に150回以上にわたりその内容を公開討論して、数多くの人達,学会などの意見を聞き、最
後には4万部を刷って全国1万8千人や250のグループに配って意見を求めてNational 
Science Education Standards[1]を作り上げている。地域的な色彩の強い教育を基本にして
いるアメリカにおいて正に国を挙げての作業であった。これだけの「新しい教育の根付け作業」
を経て初めて本当に根付くのである。理科の知識を覚えさせるのはむしろ簡単である。しかし
その知識が如何にして求められたか、探究的に学び、頭を働かせる訓練は別種の働きであ
る。考えさせるだけに、時間をかけないといけないので、知識量を減らしても考え方に重点を移
したのである。それが新しい時代の到来に備えての求められることである。

わが国ではそれを参考にして、従来の「詰め込み教育」はいけないと称して,知識の量は3割
削減、「自ら探究的に考え、生きる力をつける」と言うことで始まった「ゆとり教育」である。それ
も文部科学省の密室で作られて,上意下達で改定して行った。しかし、それも余り評判がよくな
いということもあって、程なく、文部科学相が変ると、未だ「ゆとり教育」が高校の最高学年まで
行くか行かないかのうちに、「学力の低下」が起こっているから考え直すと言って、今年の末頃
までに結論を出そうと言う。現場は混乱するだけである。

、アメリカでの学校教育は私の孫が学んだ経験からすると、小学校の校長先生にどのような子
供を育てようとしていますか、と言う娘の質問に答えて、「productive, team player, 
independent thinker」と言ったという(2)。つまりproductive 社会に役立つ人間で、team player
社会に溶け込み、そして independent thinker つまり自分なりに何時も個性的に考える小学
生、というのである。幼稚園の時から、show and tell, 自分の言葉でしゃべる練習をし、小学校
でも繰り返し、繰り返し、How do YOU think ? と自分で考える訓練をさせられる。基本は、すべ
ての子供はそれぞれ生まれつき違うということから始まる。生徒各自のよい点を引き出し
(educe)育てるのが教育 education なのである。自分で独立に考えることにより、初めて個性
が育つのである。Independent thinker が よいteam playerになるところに本当の「民主主義の
基本」があるのである。
 
わが国では independent thinker を育てるなど言う教育がどこにあるのだろうか。もちろん、日
本のように皆同じ、差別はいけない、お互いに「思いやり社会」として、「よろしく」と挨拶する社
会はそれなりに素晴らしいが、その中にあって兎角全体の中に埋没して、「個」と言うものが育
たない恨みは免れない。皆一緒に同じように考えようとする風土が支配的だからである。

時代が変ったから、それに適応するよう「探究的に考え、自分で生きる力をつけろ」と言われて
も、教師たちは考える教育を受けたこともないし、一体どうしたらいいのか、分からない。二、
三十年先のための教育と言っても、教える教師たちは二、三十年前に、先進国に追いつこうと
言う時代に知識偏重の教育を受けた人たちが多い。自分の受けた教育を基にして考えたので
はその間には正に半世紀のギャップがあるのである。元々日本に「考える」風土がないし、欧
米のように「自分で考える」基本が子供たちにもないからである。いや、子供たちだけでない大
人にも、先生の方にも大変に乏しいのである.。子供たちは先生の背を見て育つ。学校は知識
を教えるところとして、知識だけを教えることをしている先生に、考え方を教え、訓練しろと言わ
れても、どだい無理なのである。「考えることの大切さ」を言うと殆ど必ず「でも、物を知らなけれ
ば」と言う答えが返ってくる。「考える」と言ってもただ考えるのではない。選び抜かれた基本を
しっかりと身につけて考えるのである。アメリカで言う「Less is more」、つまり数少ない大事な基
本に基づいて考えると、広く浅い知識を覚えるよりも格段に実りがあるのである。基本を基にし
て一を聞いて十を知り、さらに十分に考えて必要な知識を知り、百まで考える可能性をもつこと
である。

ではこれからどうしたらいいのだろうか。 時代の変化が早いだけにマゴマゴしてはおられな
い。コンピュータの時代の到来と共に、知識偏重の時代は終わってしまった。基本は矢張り
「自分で考える力」を育て、個性を伸ばすことである、本当のエデュケイションの基本を根付か
せることである。生徒の個性を伸ばすためには、例えば、授業は常に生徒と先生との 
communication の連続にして、教室できびしく考えさせることである。近頃では、たとえ数人を
組にしてもコンピュータを通して一緒に会話、討論をしながら授業をするのである。ヒストグラム
を示すことも出来る。そのやり取りの記録がそのまま成績にも繋がる。まず先生自身が考えな
がら生徒と会話をするのである。 

また、新しい教育には新しい教育評価システム、試験制度、が求められる。まず入試も「知識
偏重」から大きく変えないといけない。私はある新設大学での入試に高校の教科書持参で、答
えは記述式にしてやってみたことがある。この方式では、これを覚えているか式の出題はなく
なる。少し手はかかるが、この方式では受験生一人一人の「考える力」が実に手に取るように
よく分かる。○×式などの比ではない。ただ、慣れていないこともあり、教授たちの中には問題
作成が困難なこともあって、出題者の方の「考える力」が試されることになる。 Stanford 大学
の入試では creativity と leadership を重視すると言っていたが、矢張り自分で考える力があっ
て、人の上に立てる人材を求めるのである。福井謙一先生は「今の大学入試は若い人の芽を
摘んでいるんです」とよく言われていた。今年のセンター試験でも、ある金属のアンミン錯体の
色を尋ねた問題が出ていた。センター試験に出ると言うことはそれを覚えろと言う命令に近
い。しかしそんな色を尋ねられても多くの受験生は見たこともなく、教科書で知るだけであり、も
う一生ほとんど絶対にお目にかかることのない化合物の色を覚えても何の役にも立たないこと
である。ただ差をつけるための出題でしかない。こんなことをして、若い人の芽を摘んでいる出
題者の連中の罪は深く大きいが、残念ながら彼らには罪の意識は微塵もない。日本を駄目に
するのは誰か、きびしく問わないといけない。

高校の化学の教科書を見てみる。まず日本の教科書が欧米の教科書に比べて圧倒的にチヤ
チで貧弱であることである。内容もページ数も三分の一以下と言う。必要最低限の情報をかき
集めて書くだけで精一杯に近く、考え方など到底手が届かない。これで化学が好きになれと
か、探究的になど言う方が無理である。そのような文部科学省検定の教科書から大学入試問
題を出せといわれてもいい問題ができるはずがない。それはそのまま高校以下の悪い教育へ
とつながって行く。一般に欧米の教科書は写真も綺麗だし、化学独自の考え方を手を尽くして
きちんと解りやすく説明されているし、各種の考えさせる例題(問題)も備えている。教科書によ
っては、化学の立場からの地球のできる火成岩の話し、大陸は移動している話、いろいろな興
味ある身近な話も入っていたりしている。素人でも化学に興味を抱くよう、化学の好きな子はま
すます好きになるし、個性を伸ばせるようになっている。立派な教科書を手にして初めて学問
の真髄に触れることが出来る。欧米では教科書は学校の備品であることが多いし、5年に一
度教科書を変えるとするとその実質的な費用は五分の一になる。大学でも新品でなくても
used として大学の生協でも安く回し売りしている。欧米で広くやっていることを日本で出来ない
話ではない。日本のようにこれ以上は教えなくていいなど文部科学省の余計な規制がなぜ必
要なのだろうか。今はもう横並びの時代ではない。現場の先生は厚い教科書の全部を教える
ことはもちろんない。場合によってはここを読んでおけ、でもいい。生徒のレベルに応じて先生
が好きなように教えればいいのである。その方が生徒も先生も個性を生かせてもっともっと元
気が出るし、化石化してしまった現在の化学が生き返る。

私は院生にはいつも口癖のように「折角いい頭をお持ちなのですから、もっとよく考えなさい」と
言っている。数年前私がある賞を頂いたお祝いの会で卒業生の一人が、先生がああ言われる
のは先生にいいアイディアがないからではないか、と冗談半分に本当のことを言っていた。頭
は使うほどよくなるものである。優れた考えが出たときはうんと褒めることである。しかしお互い
様自分の考えの足りないことは自分では解らない。考えに考え、考え抜いて、新しい発想を生
んだ体験はその人の一生の宝になるものである。creativeな才能は自分の頭で考えることによ
って育つものである。

最後に一言: 『現在の教育制度は単数教育〈平等教育〉で、子供の自主性を養う教育ではな
い。 人生で一番大切な人物のキャラクターと思想を形成するハイテイ―ンエイジを高校入
試、大学入試のための勉強に使い果たす教育は人間を創る教育ではない。 今の日本の教
育に一番欠けているのは議論から学ぶ教育である。 日本の教育は世界で一番教え過ぎの
教育である。 自分で考え、自分で判断する訓練が最も欠如している 自分で考え、横並びで
ない自己判断の出来る人間を育てなければ、2050年の日本は本当に駄目になる。』 〔森嶋通
夫〈ロンドン大学名誉教授〉こうとうけん、No.16 (1998) p.17]

日本人は元々創造能力が欠如しているとは思わない。 しかし、ノーベル賞が欧米が500を越
える数であることを考えれば、如何にも数が少ない。 ある人の話だと、化学分析方法に千種
を越える数があるが、その中で原理的にわが国で始まったものは一つもないという。 外国で
開発されたものを改良して儲けるという、よく外国から「ただ乗り」と言われるのも仕方ない面も
あるが、逆に言えば、ものを改良する才能は大変に長けているということである。 自動車でも
デイジカメでも少なくとも貿易黒字からすれば、大変な富裕国である。 それだけ知恵があるこ
とが分かる。 自分で考えることは苦手でも裕福になれるならそれでいいではないか、というこ
となのか。
 

林様;

  貴重な情報有難うございました。 大変にいい話で嬉しくなり
ます。 それが上に行くほどどうなりましょうか。 こんなことも知
らない、きっと上に行くといわれます。 私が密かに恐れているのは、
文部科学相が、「学力が落ちたからゆとり教育は変える」と言うこと
です。 学力と言いますけれども、「考える力」を測ることが決して
容易でないと言うことです。 なぞなぞのような問題から正当な考え
る問題いろいろとあります。 暗記でないからいいというわけではあ
りません。 下手をすると、文部科学相に言わせると、さらにもっと
学力が落ちたと言うのではないでしょうか。

  円周率を3にしたから学力が落ちたと言う人もいます。 どうい
う教育が本当にいいのか、あるべき基本をもっと皆で討論しながら、
つめないといけないのではないでしょうか。 私は「independent
thinker」という言葉が好きです。 その程度はどうして測ったらいい
と思いますか。 私も少し考えて見ます。 

  とにかく貴重な情報有難うございました。 お元気で。

  田丸謙二




幸福感とは



  統計によると,現在の自分の生活に満足しているか,幸福と

思っているか、と言う質問には,世界の多くの国に較べて日本人

は一段と低いそうである。 しかし客観的に見て日本での生活は

最も質の高い国の一つではないだろうか。 先ず世界で一番長

生きであることも、日本食が健康的であるという事もあるかもし

れないが,矢張り医療設備が整っていて,幼児の死亡が少ないこ

とにも起因している。 高齢化社会と言って何か好ましくないよう

な言い方がなされるが,それなりに非常におめでたいことなので

はないだろうか。 新聞に出る医療関係の記事は大体医療ミス

が多い。手術道具を身体の中に忘れていたり,薬の量を違えた

り,酷いのは患者を間違えて手術したり,とんでもないことが報

道されるが,だから我が国での医療の程度が悪いと考えること

なのか、一方で無事に行っているのが何万件もあっての上での

出来事ではなかろうか。無事に行っても記事にはならないからで

ある。


 我が国では生水も飲めるし、教育も良く行き届いていて文盲

もいない。 ,とてつもない金持ちもいない代りに,衣食住に不自由

をしている人も世界で最も少ない方ではないだろうか。 Japan 

Prize を貰った有名なドイツの学者は日本に来て電車が正確に

時刻表どおりに走っているのに感心していた。 前にも,全体の9

割の人たちが中流と思っていると言われていた。 ,宗教的,や人

種的な軋轢もないと言えるし,皆が等しくもたれあって「よろしく」

と言って挨拶していれる横並びの社会は世界でも珍しいのでは

なかろうか。 そのためであると思われるのは,、日本は世界でも

最も安全な国である。或る日アメリカの友人と東京で食事をして

いる時に彼は尋ねて来た。「何故東京はこんなに安全なんだろ

うか?夜女の人が一人で歩いていても安全な都市は世界でも

稀なのではないだろうか」,と。 私は「日本人は他人に属するも

のを取るほどaggressive ではないんだよ,」と答えた瞬間,、彼は

「とんでもない,日本のビジネスマンは猛烈aggressiveだよ」と笑

い返していた。 日本人がよく外国旅行に出かけ被害に会うの

は,,日本人が現金などを持っているということもあるかも知れな

いが,むしろ日本国内での安全に慣れていて無用心だからであ

る。 

 
 こんなに安全で,健康的で,宗教的,人種的な軋轢もなしに、日

本語を使いながら,皆仲良く暮らしていても、それでも何故多く

の人達に幸福感が乏しいのであろうか。一つには日本人が無

宗教であることも関係なしとしない。 日常的に毎日の満ち足り

た生活を与えてくれる神様に感謝しながら暮らす人々と日本人

とでは自ずから幸福感が違っても不思議はない。 結局幸福か

どうかは基本的には外的な条件よりもむしろ当人自身が如何に

感じるかの事柄であるのである。 しかし兎に角何故日本人たち

がそれ程幸福に感じていないことを考えてみるのも面白い問題

ではないだろうか。

 
 一つには現状に満足しないで,より上を目指す日本人の向上

心に起因していることもあろうし、それを反映しているのかもし

れないが. もう一つには新聞やテレビが報道することが世の中

の暗い面ばかり強調しすぎるのではないだろうか。 真面目によ

く努力している話などニュースにはなることはない。 外国人が

増えて安全でなくなった、と言うことは話題になっても,それでも

世界的には安全なんだよ、と言う話は出て来ない。 常に安全で

なくなって来た話だけである。ジャーナリズムは常に反政府的で

ある。自分達が選んだものなど,選挙の翌日から何処かに行って

しまっている。 余り意味のない「揚げ足取り」を面白おかしく誇

張して書いたりする。 毎日読み、聞き、見るニュースが世の中の

姿をそのまま現しているわけではない。 ニュースになる話だけ

を報道するのである。 それも人々がニュースとして喜ぶ内容を

報道すると言う意味で、ニュースを受け取る側の責任も大きくあ

るようにも思える。その種のニュースを望んでいる面もないとは

いえないからでもある。 勿論酷いことはちゃんと報道する義務

があるとは思うが、その一方で責任ある建設的な提言は至って

少ない。洞察力が乏しいのである。 日本人が自立して自分で

考えることが欧米人に比べて不得手である点に起因しているこ

とも無視できない。 大体考えることが後ろ向きなのである。 政

治でもそうだが、自分で前向きの議論が出来ない、世界の中でそ

れだけの影響力もないし、古来文化は外から来て自分で創るも

のではなかったのでどうしても考え方が後ろ向きでしかない立

場になるのである。 自分で個性的、かつ独創的に考えたことが

少なかったからである。 そこまで自分で考える智慧がなくても、

揚げ足なら容易に取れるからでもある。 よりよい社会,より幸せ

な社会,より夢のある社会に向けて、世の中を正しく導き、社会

の進む道を正しく指摘した意見や議論も乏しい,前向きの夢を語

れる独創的な知識人が少ないのである。数が少なくとも,その種

のものを高く評価し奨励する仕組みでもないものだろうか。 政

党の言うことについてもそうである。 常に振り返ってみて、誰が

正しかったか、誰が誤ったことを言っていたのか、しっかりと見

極める習慣が必要なのではないだろうか。 どうも世の中が忘れ

っぽくて、刹那的であり、無責任体制であり過ぎるのではないだ

ろうか。明るい夢のない無責任時代なのである。


(前述のような、中国国民自身でさえ皆が憎んでいた文化革命

時代の中国を見誤って,若者の目が澄んでいるなど素晴らしい

革命であると褒めちぎっていた日本の朝日新聞もその一例かも

知れない。しかしその大変な過ちについて反省したり謝ったこと

もないのである)



                        
                     (2004年3月11日〉 



「若者と夢−多様な価値観を生む社会へ」
フォーラム報告書について 報告書の紹介
と感想



  科学技術振興事業団(科学技術振興機構)が一昨年纏めた上

記のフォーラム報告書を大変に興味深く読ませて頂いた。 これ

は日本の大学生,高校,中学,小学校などの子供たちが自分たち

の将来についてどのような夢を抱いているかという調査に基づ

いてのフォーラムである。 先ず幾つかの国際的な調査の結果

からすると、日本青少年研究所がした5年前の調査では,「人類

にとって21世紀は希望のある社会になると思う」と答えた高校生

は中国で89%,米国で63、5%、韓国で63%であったのに対して,

日本は35%であった。同様の調査結果が2001年つくば大学留

学生センターによる日中韓3ヶ国中学生比較調査でも得られて

おり,「自分は将来に大きな希望を持っている」とする答えは日中

韓それぞれ29%,91%、46%、「何とかなると思っている」では

35%,7%、35%,「どうなるか分からない」では28%、2%,18%で

あった。 {自分の国に誇りを持っている}とする答えは24%、92%,

71%であった。フランスでの同様な調査では「将来に希望があ

る」という答えが61%で米国,韓国と肩を並べている。

  将来に夢を持つ日本の方が少ないとする上記の調査結果を見

て,あなたはその原因は何故と思いますか?〈答えは複数選択

可能〉については次の通りである。 




                小6-中3   高1―高2

第1 失業不安  73%      49%   

第2人にいえるほど自信がない  52%      44%

第3夢について語る機会がない     43%      37%

第4メディアガ暗い報道をするから   38%      33%

第5大人たちも夢を語らない       36%      33%

第6勉強,勉強といわれ暇がない     32%      35% 

第7人と合わせる方が楽         30%      17%

第8悪い大人が多い            27%      31%

第9将来地球環境が悪化         22%      8% 

第10愛国心がもてないから        20%      20%

第11「ない」と答える方が格好がいい   17%      3%

第12夢があるというと他人をしらけさせる 15%     11%

第13日本は充分に豊かで暮らしやすい 12%      10%

                (大学生)

「やはり日本に生まれてよかった」: 92% 74%     64%

「他の国に生まれたかった」     8%  26%     24%



  未来への希望を抱くと表明する若者の比率は中国で非常に高

く、米国,韓国,台湾,フランスなどが同程度で,それに次いで,日本

が顕著に低い。 夢喪失の最大原因に雇用不安が挙げられて

いる。 日本が不景気に陥った1990年代にもの心ついた若者た

ちが調査対象であることを考えると理解できる。 しかし、同様に,

あるいは日本以上に雇用不安をこの間に経験しているフランス

や韓国の例を考えると,日本だけが夢を持つ若者の比率が低い

ことの理由とはいえない。

 
 ほぼ半数の子供たちは「夢があってもまだ他人に話すほど自

信がないから」あるいは「夢があっても,他人に話すと馬鹿にされ

るかも知れないので」とするものがある。 さらに「どうせ自分の

人生は将来大したことにならないと思うから」「周りの人と合わ

せて同じようにやっていく方が楽に暮らせる」とするものである。 

これらは「自信がないので夢がもてない、あるいは,夢があると

いいにくい」とまとめることが出来る。

  このような調査で夢があるとする若者が少ない理由は,若者た

ちが「冷めている」あるいは「しらけている」ことにその最大の理

由を求めることができ、その5大要因は、@自信を失っている、

A語り合える機会がない、B大人や社会の暗いイメージ、C勉

強に駆り立てられる圧迫感、Dどうせ未来の地球は暗いとする

予測,にすることができる。 (しかし私が見るところでは、これ

は自分の頭で個性的に考える教育の足りなさから来る結果で

ある) しかし面白いことは,若者たちは大人たちに対する多くの

不満はあるにしても,約7割の若者たち〈大学生では9割〉は「結

局のところ日本に生まれてよかった」としていることである。 一

面では現在の社会を作ってきた大人たちへの「大きな評価」と考

えることもできるのである。 日本が安全で豊かな住みよい国で

あることへの評価でもある。

 
 報告書ではこのような結果を生む大きな原因の一つは私に言

わせると、日本と言う国自信が不景気の中に埋没して、希望の

ない大きなあがきの中にいることから来るので、国を挙げての

大人自身の自信喪失が偶々子供に反映したのである。 この

報告書の中には、現在の日本の教育,社会通念,職業通年全て

にわたって,「画一化された価値観」が支配的になっているから

だと言う。 例えば,教育にしても私が何時も言う「学びて思わざ

る」教育を通して「横並びの物知り」を創っている。そこには個性

も、創造性もない、他人と違わないで皆で一緒に生きて行く心

安さ,居心地のよさにどっぷりとしたっている「甘え」そのもので

ある。 その中で気になることがあったら言いなさいと言われて

敢えて挙げるのが,雇用不安であったり,地球環境であったり,自

分の個性的な意見のもてない自信のなさであったり、するので

はないだろうか。 私はこの報告を読んでいて,私のホームペー

ジの中にある「幸福感」の文を思い出す。 日本人は真実恵まれ

た環境の中にいながら,それ程「幸福」に思わないことに慣れさ

せられているのである。 本当は、では他の国に住みたいか,と

言われても、何も言葉の問題だけでなく、やはり、日本が居心

地がいいのである。 健康的で、安全で、人種や宗教による歪

もなく、安心して、差別なく、もたれ合っている物質的に豊かな

国でありながら、案外にその中に住む人たちは心貧しく、居心

地のよい環境に「甘えている」のである。

 
  欧米のように、皆は生まれつきそれぞれ違う、その個性、生

来のいい点を引き出し(educe)伸ばすのが「教育」である、とい

う「風土」に子供の時から育って来ると、自己の確立に自分なり

に努力もし、自分なりの希望も生まれて来るはずである。 他人

と一緒に差別なく育っていると、自ずから皆との「もたれあい社

会」の中に埋没してしまうのである。 個性を育てるなど、夢にも

思わずに、他人と違わない自分を安定した立場に置くのである。 

終戦後の、食べるのに精一杯という、どん底の生活を強いられ

ていた頃では、少しでもよくなろう、ともがき苦しみながら、それ

でも「所得倍増」などと言って、将来の安定した生活を希望を持

って夢見た時代では、それなりの夢もあったはずである。 (現在

の中国の立場に似ている) 希望もはっきりとしていた。 その努

力の甲斐があって、着々と生活は向上し、80年代になって世界

のトップの一員になってみると、"Japan as No.one"などと言わ

れて、喜んでもいたし、皆幸せの訪れを身に感じたものである。 

不況だ、不況だという声が充満している90年代に育った子供た

ちに将来の夢を語れといっても、土台無理な話でもある。 彼等

はそこを原点として、それから始まった連中なのである。


  科学技術が進歩し、行き渡るに従い、人類は途方もない便利

さを手に入れるようになって来た。 自動車文明、ジエット機の

旅、家庭電化製品、パソコン、携帯電話、高度医療などなど、

世界中の人達が国や宗教を越えて、直接に語り合う人類がこれ

までに経験したことのなかった新しい文明が情報化と共に生ま

れつつある。 私の個人的な経験でも、共産圏が崩れ去った過

程には、この情報化が直接作用したことをはっきりと感じとった

ものである。 「政府は我々が世界で最も幸せな世界に住んでい

る」と言っているが、あちらではもっといい生活をしている。 皆向

こう側に逃げたがっている」、このようにして体制が変わったので

ある。〈ソ連よりも東ドイツが、東ドイツよりも東ベルリンが、そして

東ベルリンの人たちは西ベルリンに逃げたがっているという現実

がその一つの例であった〉


  このますます加速度的に情報化して行く新しい文明の中での

世界が、これからは国の間の垣根が低くなり、南北問題もそれ

なりに取り組むことになるのではないだろうか。 昔では到底考

えられなかったヨーロッパで同じ通貨を使うなど、世界はゆっくり

ではあっても着実に世界化に向かって変化をしているのである。 

  翻って我が国の現状をこの度の報告にしたがって、異なった面

から見てみよう。 この報告にあるように、日本は貿易で毎年数

兆円から10数兆円の黒字を出し、これまで累積した海外投資か

ら数兆円の所得収支を得〈利息〉、バブル期以降に急増した海外

旅行に約5兆円を費やし〈サービス収支の赤字〉、途上国に1兆

円強の政府援助(ODA)を行ない、〈移転収支の赤字〉、最終的

に10兆円前後の黒字を再び海外投資して、海外純資産をさらに

増やし続けている国である。 現時点でも日本は世界最大の経

常収支黒字国であり、EU全体に匹敵する世界最大の海外純資

産を蓄積している国である。 海外純資産の累積が増大して、こ

れより得る利息〈所得収支〉が徐々に増え、現在では毎年7兆円

にも達する〈国民一人当たりで6万円〉。 国の正味の財布の出

し入れとしての経常収支は変動はあるが、バブル期以降の「失

われし90年代」においても決して減ってはいなかった。 日本国

内において、より輸出競争力のある産業が、相対的に輸出競争

力を失った産業を代替して来た事が読み取れる。 したがって、

マクロに見ると、日本の90年代の失業増大は国際競争力の喪

失によって起こったものではなく、80年代までの製造業の生産

性向上と90年代に入ってからのサービス産業の生産性向上に

よって必然的に生じたものである。 それはむしろ贅沢な悩みで

あって、その解消はワークシェアリング〈余暇つくり〉か「夢創造

」に求めることが本質である。 外国から見ても日本は決して自

信喪失の時代ではなく、むしろ儲かってしょうがない国なのであ

る。 それなのに何故世の中を暗くする情報だけが氾濫するので

あろうか。 むしろ意識的に氾濫させているからではないだろう

か。

 
 歴史的には、農業の生産性向上によって生じた余剰労働力は

製造業という第2次産業を発展させ、そこでの生産性が向上し

てさらに第3次産業というサービス業が展開して来た。 製造業

の生産性向上で、先進国、例えば日本ではそれに従事する労

働人口は一時の50%以上から現在は35%を切るまでに減少し

て来ている。 日本では第3次産業従事者は現在65%にまで増

加している。 しかしながら、サービス業においてもリストラと言っ

て生産性の向上が顕著になる。 もしも1人当たりが得る価値総

量をこれ以上増やさないことを指向するのであれば、その解決

は福祉、介護産業、芸術、スポーツ、娯楽などのさらに新しい第

4次産業分野〈あるいは夢創造〉をつくるか、ワークシェアリング

〈余暇を創る〉を行なうことになる。 この第4次産業分野は、どの

程度の活動規模になるかを考えると、全労働従事者に対して余

剰労働人口は比率〈現在の日本では5−6%〉を考えると、GDP

500兆円として大体年間25兆円に達する。 これを使って新しい

価値を如何にして生み出すか、迷っているのが現在の日本の贅

沢な悩みである。 これを青少年健全育成のために全国の小中

学校の教員を100万人から4倍に増員することが可能になる。 

これからの日本が後世に残す何かを模索する時、昔のように万

里の長城や、ピラミッドを作るよりも、知性豊かな人間を創ること

は如何であろうか。 それにどうしても見逃してはならないことに

南北問題がある。 この解決なしには世界の真の平和はあり得

ないことを考えると、そちらに振り向けることも当然可能性の一

つでなくてはならない。 25兆円を15億の人たちに分けるとする

と、一人当たり千六百円になる。 5人家族で8千円である。 少

なくともODAを大幅に増やすことも夢ではない。 その人たちに

生活向上による新しい消費を生み出すことにもなる。生産性の向

上が限度にまで来た現在、この種の新しい価値に投資するか,

余暇を創るかという贅沢な選択の迷いの中で、世界の中におけ

る豊かな先進国としての日本の位置付けと役割をこのように考

える時、これからは世界はよくなって行くに違いない、と言う心

豊かな予感がして来るのである。 子供たちに夢を与えるために

も、先ず大人たちが夢のある背中を子供たちに見せることであ

る。 実際に夢があるのだから。 
  (2004年4月23日〉





「科学技術のマーケテイングと
日本経済」の話



  2004年4月19日に日本板硝子材料工学助成会で本年度の

研究助成金贈呈式があり、その際に科学技術振興機構の理事

をしている北澤宏一君(東大名誉教授で田丸研出身)の「科学技

術のマーケテイングと日本経済」と題した面白い話があった。そ

の内容の一部は前に話の後半と重なるが一応その内容を紹介

してみる。

  近年FAXやビデオなどの例に見られるように多くの工業製品

が輸出品目より撤退した。低コストの海外製品に太刀打ちできな

くなった。中国などの低労働賃金国への製造技術拠点の移行に

より逆輸入されるようになった。産業空洞化といわれる現象であ

る。しかし1990年以来この不況期に起きていることは実は「産業

の空洞化」ではなく輸出総額は1980年代以来凸凹はあるが年

平均8%と高い増加率を示し、最新の2002年には過去最高の

53兆円に達して、貿易黒字は90年以降現在まで大きな黒字を

継続している。つまり、多くの製品が新たに輸出商品として登場

し、デジタルカメラやプラズマ・液晶テレビなどが自動車部品など

とともに非常に好調である。

  日本は20年以上ずっと10兆円に近い財貿易の黒字を続け、

その黒字が海外旅行で約4兆円費やし、さらに1兆円を途上国

援助に支出する。さらに余ったお金は米国の国債などを購入し

たり企業に投資されて、海外純資産として蓄積されてきた。91

年以来英国を抜いて世界最大の海外純資産保有国になってい

る。つまり200兆円弱に達している海外純資産からの所得が数

兆円が貿易黒字に加わっている。したがって日本が「国際競争

力が衰えたために景気が悪い」など言っていると海外諸国から

は「空いた口がふさがらない」と言われることである。不景気の

真相は「飽食の時代」「ものあまりの時代」「サービス過剰の時

代」と言って、第1次から3次産業のすべての産業が飽和して、

生産性が向上して労働力が要らなくなってきたためである。

  財務省貯蓄動向調査によれば、個人貯蓄はむしろ90年代

になって急速に増大しバブル期のほぼ倍増している。個人金融

資産はGDPの3倍、1400兆円(主要部分は高齢者名義)の巨

額に達した。(米国の5倍である)「成長を止め、高齢化する国」の

構造不況として@個人消費が増えない、Aそのために設備投資

も低調、B輸出は増えているにもかかわらずGDPが増えない、

失業は徐々に増える、C個人が貯金をするため政府が財政赤

字をさらに増やさざるを得ない、というのが経済構造の本質であ

る。これを克服するには如何したらよいのか。それには@国民が

納得する新たな経済活動を創り出すこと、A老後の安心を確保

すること、である。 後者は政治が解決する問題であり、前者に

ついて考えてみる。、

  食料を得るに必要な農業人口は、先進国では3%になってい

る。ものつくりに従事する人は今では35%で足りることになった。

余った約65%の人達はサービス業に従事すると言っても、リス

トラも進み、さらに5%強の余剰労働力が生じている。それの解

決のためには「第4の価値」と呼べる。350万人の労働(現在の

失業者数)で生み出されるものを考えなければいけない。(それに

必要なお金のうちのかなりは既に失業保険、社会保障として払

われている)

  ではここに言う「第4の価値」とはどういうものであろうか。そ

れは生き甲斐、環境、仲間、調和、美しさ、こころ、正義感、自

然、平和、誇り、文化、などのキーワードで表現できるということ

であり、例えば、「街の美化」、緑化や楽しい街」、「地域の人々

による子供や高齢者のケヤ」、「リサイクルの推進」、「自然エネ

ルギーの活用」、「環境保全」などである。

  そのような仕組みの一つとして、NPOの役割についていう

と、たとえば、1990年まで欧州の不況の典型例であったオラ

ンダにおいて、近年労働時間が短くなって、それとともにNPO

活動が顕著になり、NPO活動による経済寄与率がGDPの18

%を越え、NPO雇用も全従業者数の18%に達した。この結果

オランダの失業率はこの30年来最低の2%ラインまで低下し、

現在欧州の経済の最優良国と言われている。これは政府による

ワークシェアリング推進政策の結果生じたものであるが、結果と

してNPO活動が活発化し、GDPが成長し、雇用が作り出され

た。米国ではNPOによる雇用が1000万人に達している。日本

の失業者350万人と比較して興味ある数値である。米国では、

個人が自分の収入のへいきん5%をNPOに寄付をしている。

オランダのNPO経済18%と言うのは、日本で言えば、自動車

産業よりも大きな産業であり、製造業の半分を占める大きな産

業である。「第4の価値」を入手して行くことが日本の生きて行く

上で一つの道である。

  以上が北澤宏一理事の大体の話の筋である。先ず先進国が

突き当たった飽和現象から来る雇用不安を乗り切りながら、世

界が明るく平和に暮らせるよう、皆で智慧を絞って行かなければ

いけないことを明確に示している話として、大変に興味深く聞か

せて貰った話である。 「幸福感」から始まった一連の話を通して

満ち足りた生活の中で、如何に幸せに生きるか、我々が直面し

つつある大変に重要な考えさせられる問題である。満ち足りた社

会にある国々も、世界全体からすれば決して多くはない。たとえ

ば、NPOなどを通して途上国のために尽くすことも当然考えられ

る。途上国が裕福になって消費も増えるし、当分はそれで世界は

幸せになっていくであろうが、限られた資源・エネルギーを如何

にすることになるか、当然深刻な問題になっていくであろう。それ

を乗り越えるのは、やはり科学技術しかないのである。

                  (2004年5月19日)











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